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王陽明の名句とその解説

岡田武彦述
−目次−





六、人生、命に達すれば自ら灑落

江西省南方に巣くう乱賊をすべて討伐した功績によって陽明は昇進することになりましたが、陽明は昇進を辞退し帰郷講学させて欲しいと朝廷に願い出ました。しかし、これまた許されませんでした。といいますのは、揚子江を南京から西に遡上していきますと□陽湖という中国最大の湖があり、そこに流れこむロ江という大河を少し南に下ると江西省の南昌という大きな街があります。そこには昔から一大勢力を持つ王族がおりました。その当時は辰濠という名の王でしたが、これが朝廷の悪い側近を通して自分の息子を王位につけたい、つまり武宗皇帝の王位を纂奪しようという野心を持って虎視眈々と狙っていたのであります。そして、今度も軍務大臣の王晋渓は、震濠が事を起こした場合の対応を陽明, に任せようと考えていたのであります。

やがて陽明は、福建省の正規軍の叛乱を鎮定するよう命ぜられます。そのため□江を北上して南昌の近くまで来たところ、ついに震濠が叛乱を起こしたのを知って直ちに引き揚げ、南方の乱賊を平定する根拠地に、していたロ州まで帰ろうとしました。しかし、□州までは遠いので陽明は途中の吉安という街に留まり、そこから各地に撤を飛ばして義勇軍を募り軍備を整えるなど衰濠の叛乱への対応を指揮したのであります。

一方の農濠は叛乱を起こしたとき、やはり陽明が自分を襲ってくるのではないかと非常に心配していました。しかし、陽明にその気配が見えませんでしたので、いよいよ大軍を引き連れて南昌を出発しロ陽湖を経て揚子江を東に向かったのです。そして、先ず揚子江の下流にある副都の南京を攻略し、次いで首都の北京に攻め上って武宗皇帝の王位を纂奪しようと企てたわけであります。

陽明は辰濠が揚子江を東に下ったその隙を狙い、辰濠の拠点であった南昌の城を襲い、あっという問に占領してしまいました。それを聞いて驚いた震濠は南京に攻め上る途中から全軍を引き返し、陽明の軍と戦いました。主戦場はロ陽湖の上で水軍と水軍の戦いでありましたが、陽明は湖上の戦いの三日目に辰濠軍を撃滅し、震濠を檎にしたのであります。これは震濠が叛乱を起こしてから僅か四十二日目という極めて短期間のことでありました。そのころ北京では、震濠が叛乱を起こしたのを聞いた武宗皇帝の側近の悪い連中は皇帝を押し立てて震濠親征軍を興し、大軍で南方に向かいました。その悪い連中は、辰濠の乱を平定した陽明の功績を何とかして皇帝の征伐の功績に、すなわち自分たちの功績にしたいと画策したのでありぎす。そのため彼らは陽明に対し、辰濠以下の檎を再び□陽湖上に解き放て、そして解き放ったならば我々が捕える、そこで皇帝が展濠を征伐したようにさせろと無理無体なことを要求してきました。

しかし陽明は、もしそういうことをして展濠を解き放ったならば、震濠の残党一味が立ち上がって、どんな騒動が起こるかも分からないといって承諾しませんでした。そして陽明は、結厨、自分が震濠を連れて皇帝に差し出すしか方法がないと考え、揚子江を東に下って皇帝の駐屯地に赴き、辰濠以下の檎を良識ある側近の人に渡しました。その上、展濠を平定した功績は皇帝の親征軍にあるという報告書を書かざるを得なくなりました。

ところが、それでもなお、陽明に対する皇帝の悪い側近どもの妬み心は止みません。彼らは何かあると陽明の悪口を皇帝に言上し、あわよくば陽明を殺させようとさえしたということであります。さらに彼らは、陽明は皇帝に謀反を起こす心があるということを言い出しました。さすがに暗愚の皇帝もそこまでは信用せず、陽明に謀反を起こすという証拠があるのかと聞きましたところ、悪い側近どもは陛下が陽明を召喚されても決して出頭しないでありましょう、それが謀反の証拠でありますと答えたのであります。

しかし、このことを知った良識ある側近の人が実情を陽明に連絡しましたので、陽明は直ちに皇帝の駐屯地に向けて出発しました。これを知ってあわてたのは悪い側近どもであります。陽明が皇帝に面会すると自分たちの悪計が発覚するのを恐れた彼らは、偽命を発して陽明を途中で足止めさせました。そのため、仕方なく陽明は山の中に身を潜めて、毎日静坐しておりました。一方、皇帝は良、識ある側近の助言もあり部下を遣わして陽明の様子を探らせましたが、謀反の疑いなどまったくないことが分かりましたので、南昌に還るよう命じました。

南昌に還った陽明は、しばらく後でロ江を南に下り軍事拠点の□州に戻りました。ロ州で陽明は配下の軍隊を整備し大々的に閲兵を行ない、兵卒に戦法を教えるなどしました。そういうことをすると、陽明の動きを見張っている悪い側近どもに口実を与えることになると陽明の門人たちは非常に心配しました。しかし陽明は平気で、門人たちに「啾啾吟」という詩を与えて慰めたのであります。啾啾とは悲しく泣き声を出すという意味です。最初に書きました「人生、命に達すれば自ら灑落」というのはこの詩文の一節で、陽明は「人間は天命を自覚さえすれば酒々落々の自由な境地に達することができる」といったのであります。





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