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王陽明の名句とその解説

岡田武彦述
−目次−




七、良知は千古聖々の相伝なり

さて、聖人の説く道は人間が社会で従わなければならない道でありますが、宋代になりますと、それは天から与えられた理法、すなわち先天的な生まれつきの理法であり、人間の家族生活や社会生活のみならず、天地万物の一つずつにもその理法があると説かれるようになってまいりました。

ですから朱子は、そういう理法も一々窮めていかなければ聖人の境地には達し得ないといったのであります。もちろん朱子も、そういう道が人間本来の心にあることを知ってはおりました。しかし、そういう道を心の中に求めると、心で心を求めることになって迷路に入ってしまうか、ら、心の外の物について一々これを窮めていかなければならない、そして天地万物それぞれに道があるのだから、それを一々窮めていかなければならない、それは天然的な理法であるから、その理法は宇宙生成の根本の道でもあるといって、それを総合して天理といいました。

要するに朱子は、本来、天理は心の中にあるといいましたけれども、先ほど申しましたように、それを心の中に求めると心が混乱に陥るので、むしろ心の外にある物について先ず一々これを求めていかなければならないといい、人倫道徳だけではなく、人文科学や社会科学的な理法から自然科学的な理法までも一々求めねばならないというようになりました。このように朱子のいう天理は、まことに深遠広大なものであります。そもそも宋代になりますと、孔子や孟子の説く道が、こういうように天地万物の理法であって宇宙の根源であるとまで考えるようになり、ここにおいて儒教は大きく、発展したわけであります。何故こうなったかといいますと、それは仏教哲学などの刺激によって儒教の道が広大深遠であることを探り出したからであります。

陽明も一応は朱子学を修めてきておりますから、やはり心の中に天理があることを述べました。ただ、朱子と違うところは、心の本体が分かれば天理が分かるとしたことであります。それで、どういうふうに心の修行をしたらよいかという点に苦心したのです。そこへもってきて、先ほど申しましたような大苦難に出くわして、ついに良知の悟りを得るに至ったわけであります。

陽明が南昌に滞在しているとき門人たちが集ってきて色々と教えを乞いました。そして四十九歳のとき、この「良知説」を述べました。最初は一門人にひそかに述べただけでありましたが、翌年、五十歳になると門人たちに対して大一々的にこれを公言したわけであります。そして陽明は、私利私欲に明け暮れている世の人々を良知によって何とか救わなければならないと思い、それで自分は気狂いといわれてもいい、この良知説を掲げて世の中を救うのだと決意したのであります。

そして陽明は、良知がすなわち天理であること、その力がいかに偉大かということを述べ、さらに、この良知は自分が勝手にいっているものでなく、最初に記しましたように「大昔から聖人たちが代々伝えてきたものである」ということを述べたのであります。また陽明は、次のような色々の例を引いて良知の力を説明しております。

中国には、お墓など死んだ人骨が累々とある中で、どれが自分の祖先の骨であるかを捜すとき、子孫の者が骨に血を垂らせば中に滲み入るので即座に見分けることができる、という言い伝えが昔からあるのですが、陽明はそういう骨に垂らす血と同じように、良知は即座に是非善悪を見分ける力があるといっております。また、良知は羅針盤のようなもので、それさえあれば道に迷わず目的地に着ける、良知に従って行動すれば正しい行ないができるといい、また良知を船の舵に讐え、船に舵さえあれば逆巻く怒涛の中でも目的地に着くことができる、良知にはそう、いう力があると、このようにいったのであります。

陽明がこの良知を悟るようになるまでには色々な苦難があります。先ず竜場に流されたとき、聖人の説く道は我が心にあるということを悟りました。しかし、その心の本質はいったい何であるかということを知らなければなりません。それまで陽明は、心に対してどのように修行すればよいのかということを聖人の教えの中で色々求めてきましたが、その都度その都度、考え方が変わってはっきりとしませんでした。ところが、辰濠の乱で皇帝の側近にいる悪者たちにより今までにない大苦難に出会って、はじめて心の本質が良知である、これは聖人と一般の人とを問わず誰でも持っているものであるということを悟りました。そのことを悟ったのは、陽明がかつてない大苦難を経験したからであります。ちょうど竜場で陽明が苦難の中で静坐して聖人の道は心にあると悟ったのと同じように、大苦難を経てから、この心の本質が良知であり、それが聖人の説く道であると悟ったわけであります。




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