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王陽明の名句とその解説

岡田武彦述
−目次−





九、良知の内実は真誠側怛なり

良知は聖人も一般の人も等しく持っているものであると陽明はいいましたが、しかしながら、よく注意しないと、私欲に曇らされた良知でありながら、その判断にもとづいて行動し、自分は良知に従っているのだというものが後に出てくるようになりました。さらに、ずっと後になりますと、まったく文盲のものでも良知良知といいだして、そして自分の思うままに行動するのが良知に従うことだといって弊害を生ずるようになりました。陽明のときには未だそこまで行かなくても、やはり誤ってその良知を磨くことを忘れ、私欲に覆われた良知でものを判断し行動して、いわゆる主観に陥るものが出てくるようになりました。

そこで陽明は、良知は天理のあらわになったもので「その内実は真誠側怛、すなわち人の真心と人に対する思いやりである」と述べました。良知の中に本当の真心と思いやりがあるということを忘れて良知を説けば誤りを犯すに至ると陽明はいったのであります。この点は非常に大事なところであります。良知の中には、そういう心が、つまり情が入っていることを私たちは忘れてはなりません。ですから、陽明学すなわち陽明の良知説を学ぶものがそのことを忘れたなら、陽明の良知説に対する理解は誤ってしまいます。

山田方谷先生は、特に真心ということをもととして、誠をもつて良知を説かれたのであります。これは陽明の本当の良知説を述べられたにほかありません。そういう良知をもって藩政を立て直すために大きな働きをし、後世の人がこれを見上げるような大きな功績を建てられたのであります。日本では幕末のころ全体的に陽明学が盛んになりましたが、日本の陽明学者はそういう正当な陽明学を取り入れた人が多く、間違った取り入れ方をしてはおりません。

ところが、中国の場合、後になると陽明の学を間違って取り入れ、一何でも自分の思うままにやることが我が良知に従うことだといって堕落するような傾向が多くなりました。そして、これが明朝を乱すもとになりました。ですから、明朝が満州族に滅ぼされて清朝の時代になると、朱子学者の中に明朝を滅ぼしたのは、罪、陽明にあるというような批判が起こって、陽明学は退けられるようになりました。

中国ではそういう風潮が起こりましたが、幸い日本はそうならなかったのであります。ところが後世、陽明学は叛乱の哲学であるということをいう人がいるのであります。といいますのは、乱をー起こした大塩中斎は陽明学者であり、また最近では三島由紀夫の過激な行動もありまして、アメリカの若い学者の中に陽明学は叛乱の哲学だという人がおりました。三十年以上も前、私はハワイで行なわれた「王陽明生誕五百年記念国際学会」に参加しましたが、そのとき陽明学は叛乱の哲学だという誤解を発表する人がいました。そこで私は「島原でキリスト教徒が乱を起こしたが、彼らが乱を起こしたからといって、キリスト教が叛乱の宗教だとあなた方は思うか」と反論したことがあります。そういう誤解をする人が時々いるのは残念であります。

また、何でも我が良知に従って行動すれば正しいと、いう勝手放題な考え方を持ち、それが良知に従うことだといって、そういうように実践することが陽明学だという若者が日本でも時々おりますが、これは大間違いであります。それでは陽明学を正しく理解しておりません。しかし、一般に幕末の陽明学者は、山田方谷先生のように正しい理解の仕方をしております。さすがは日本人だと思います。




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