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王陽明の名句とその解説

岡田武彦述
−目次−





八、わが心に自ら光明の月あり

陽明は良知説を公言してから、ますます良知の素晴らしさを信ずるようになりました。そして、この良知こそは天地万物宇宙の根源である、この良知がなければ天地万物も宇宙も存在し得ないと考えるようになったのであります。そして、この素晴らしい良知は誰でも聖人と同じものを持っていると述べました。陽明が晩年の詩に「わが心に自ら光明の月あり」と吟じたのは、そのことを明らかに示すものであります。

人は誰でも永遠に光り輝いて変わらない名月のようなものを持っていると陽明はいったのでありますが.この名月とは良知を表わしたにほかありません。そして、この言葉は人々に強い自信を与えるものだと私は思うのであります。何故なら、人は誰でも聖人と同じ良知を持っているというのですから。一般に陽明学は人間に強い信念を与える学だといわれておりますが、まことにその通りであります。誰でも、自、分が聖人と同じ良知を持っているといわれたならば、自信がわいてくることはいうまでもないでしょう。

しかし、現実はそうではなく、やはりよく注意しませんと、この良知も私利私欲で曇らされてしまいきす。ですから、それを取り除いて良知を輝かすようにする努力が必要であります。その努力を忘れますと、私利私欲に曇った良知でありながら、これが本当の良知だと思って行動するような弊害を生じます。

そこで陽明は、門人の中にいささかそういう弊害を生じているのを見て、私利私欲を取り除いて良知の光の輝きを汚さないようにしなければならない、そういう努力が必要であるといって、良知というだけではなくて良知を致すということが大事だといったのであります。そこで陽明は「致良知」ということを述べたのです。日本で始めて陽明学を受け入れて学んだ人は、皆さんもご存じの近江聖人といわれた中江藤樹であります。この中江藤樹の揮毫に「致良知」と三字を書いたものがあります。当時、良知と書かないで致良知と書いているのです。このことからも、中江藤樹は陽明の心をよく知っていた陽明学者であるということができるでしょう。

しかし、そういう私利私欲が萌したならば、これを見るのも実は良知である、そしてそれを見抜いて除去するのが、ほかでもない良知の力である、良知はそういう力を持っている、陽明は後にこういっております。黙々と私利私欲を取り除く努力をするのではなくて、それはわが良知がいち早く見抜いて、これを取り除く力を持っている、ということを陽明は説いたのであります。ここにも、陽明学の特色、陽明の良知説の特色があるわけであります。




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