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2009年06月21日

山田方谷先生の研究家としれも知られる小野 晋也代議士の新書が発行されました。

山田方谷先生の研究家としれも知られる小野 晋也代議士の新書が発行されました。

同書は小野晋也氏が自民党内で開催している「自民未来塾」の人間学講座の内容をまとめた物で「人は人間についてよく学ばなければならない――」という小野氏の信念のもとにまとめられた物です。

本物に学ぶ生き方
致知出版社 [著] 小野 晋也
ASIN:4884748506 /単行本/270頁
発売日:2009-05
ランキング&評価:---位 5.0
価格:¥ 1,890 [2009-06-21 Amache]
5 - 納得の一冊

「人は人間についてよく学ばなければならない――」

 これは、政治家である著者の人生を
 照らし続けてきた言葉です。

 以来この言葉に触発され、人間学を追求し続けてきたといいます。
 本書は、著者が主宰してきた数々の勉強会で取り上げた先達のうち、
 安岡正篤をはじめ、新渡戸稲造、吉田松陰、森信三、山田方谷、
 伊庭貞剛、二宮尊徳や石田梅岩の厳選された9人を紹介。
 
 「吾をつくる道」
 「志の教育」
 「大命に生きる」
 「運命を高める生き方」

 の4つに分けた章の中で、それぞれの人物の生きざま、思想などを
 現代の私たちが吸収しやすいように紹介してくれています。
 
 心に響く出会いは人生をも左右しますが、
 必ずしも生身の人間だけでなく、
 本を通じての出会いもまた意義があります。

 時代を越えて届く本物の人物の声に耳を傾けることは、
 人生を切り開く契機となることでしょう。

 ●〇●〇● もくじ ●〇●〇●

 1 吾をつくる道
   思考の三原則―安岡正篤
   日本人の心に宿る武士道精神―新渡戸稲造
 2 志の教育
   松下村塾教育とは何か―吉田松陰
   教育者の使命―森信三
 3 大命に生きる
   雲中の飛竜が行った財政再建―山田方谷
   環境問題に立ち向かった男―伊庭貞剛 
 4 運命を高める生き方
   勤労、分度、推譲の心―二宮尊徳
   経済に心をこめる―石田梅岩
   天の道を行う―西郷隆盛 


商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
9人の先達が教える人間力養成の道。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
小野 晋也
1955年愛媛県新居浜市生まれ。東京大学工学系大学院航空学専修修士課程を修了後、松下政経塾の第1期生として入塾。1983年、27歳で愛媛県議会議員となり、1993年、38歳で衆議院議員初当選。以後、衆議院議員を5期務める。1984年より、人間教育と新しい文明創出を目的とする「OAK・TREE運動」を主宰。その延長線上の活動として、現在、人間の生き方・考え方、そして、幸福とは何かを考える「永田町人間学講座」を主宰し、超党派の国会議員・政治関係者と共に、政治の原点である「人間学」の普及啓蒙活動を展開している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

学院長の人間学講座
http://jimin.xsrv.jp/ningen/

小野 晋也氏 公式ブログ
http://iratan.cocolog-nifty.com/blog/

2009年06月20日

資料集 三島中洲の書が発行されました。

資料集 三島中洲の書が発行されました。
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山田方谷先生の一番弟子であり、漢学者。東京帝国大学教授。二松學舍大学の前身となる漢学塾二松學舍の創立者である三島中洲の書を集めた資料集、「資料集 三島中洲の書」が中島学区郷土を学ぶ会より発行されました。

中洲の書をカラー写真で紹介しているほか、郷土史家の高見彰先生による「三島中洲先生のこと」も掲載されています。

お問い合せ
http://chuushu.s363.xrea.com/modules/xpress/?p=19
定価 500円
中島学区郷土を学ぶ会/編者
出版者 倉敷: 中島学区郷土を学ぶ会

天誅組研究の第一人者、草村克彦氏らによる天誅組の専門誌『天忠組の跫音』が発行されました。

天誅組研究の第一人者、草村克彦氏らによる天誅組の専門誌『天忠組の跫音』が発行されました。

天誅組(てんちゅうぐみ)は、幕末に公卿中山忠光を主将に志士達で構成された尊皇攘夷派の武装集団です。大和国で挙兵するが、幕府軍の追討を受けて壊滅した(天誅組の変)。天忠組とも。

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『天忠組の跫音』の詳しい内容として、同誌に添付されいた文より紹介します。

『天忠組の跫音』発刊につきまして。

このたび『天忠傑作』以来、約10年ぶりに天忠組に特化した本を作る事が出来ました。最終的には、気がはやり「はじめに」や「目次」が雑になりました事をまずお詫び申し上げます。
迫力ある題字は恩師であります吉見良三先生です。京都の霊山歴史館にお勤めの頃に図々しくも「いつか本を出すときの為にタイトルを考えてきました。お願いします」と言って書いていただいた三つの申の一つが、この『天忠組の跫音』でした。その内の一っである『天忠組野史』という題字は専門新聞として21号まで書いて参りました。それなりの役目は果たせたと思います。しかし、今回自費出版とは言え、こうして冊子(一応でも本)としての形に出来たことは先生へのお約束が僅かでも果たせたことになると自身の大きな喜びであります。

欲を言えば自作品の全てを新作にしたかったところですが、それは(弐)以降のお楽しみということでご勘弁ください。

今回は寄稿という道を選びましたが、それぞれ各人が地域の著名な郷土史家あるいは天忠(諌)組の研究者等でありますことから、作品につきまして発行人が何ら手を加えるようなことは一切しておりません。

当然読者の皆様から各作品につきまして感想はじめ率直なご意見やご質問が出て参ることと存じます。冊子に記載ております発行人の住所にご連絡いただければ、取次ぎをさせていただきます。ただし、ご返事の有無はあくまで寄稿(執筆)者にお任せ致しますので、その点は何卒ご了承くださいませ。


簡単な寄稿のご紹介
半田門吾:
『大和日記』の著者といわれる半田門吉の曾孫。同人誌陶・避遁』に寄稿あり。
法輪流吟道法声会師範(法山)。

三輪ひとみ:
長年にわたり大阪龍馬会で活躍後『新・避遁』同人に。作品は多彩でユニーク。

阪本基義:
東吉野村にて中学校校長、教育長歴任。著書に『草葬一ノ記』など。
現在『維新の魁・天諌組』保存伝承噸彰推進協議会副会長

福池健次:
「邂逅」 、「新・邂逅」 専属表紙絵担当。ギター、ピァノ、油絵など趣味多彩。


川味一誠
旧本会議茨城県西支部理事。常陸国下館藩厚誼会所属。
常陸下館藩国士渋谷伊予作顕彰準備会。

綿鍋伊久男:
大阪での一流ミュージシャンとの長いバンド活動を経て、故郷吉野に帰る。
現在もシンガーソングライターとして音楽活動継続中。質店経営者でもある。
天忠組のパトロンであった天辻峠の豪商、鶴屋治兵衛のご子孫でもある。

吉見真理子:
作家吉見良三先生の次女。十津川村に移り住み自給自足の道に。
薬剤師であり介護のプロでもある。

草村克彦:
同人誌「新・邂逅」、天忠組専門紙『天忠組野史』発行人。
草葬義挙再探究会代表。ミニコミ「ふれあい」、月刊「奈良」等に寄稿。


【お問い合せ】
草莽崛起の心から多方面に我流探訪09
http://blogs.yahoo.co.jp/tentuji

2009年06月18日

人間会議 2009年 6/15号 にて方谷先生が取り上げられました。

人間会議 2009年 6/15号 にて方谷先生が取り上げられました。

歴史家の加来耕三先生、「山田方谷に学ぶ改革成功の鍵 」の野島透先生、さらには全日空・会長/日本経団連・副会長 大橋洋治氏が山田方谷先生について研究、紹介されています。

加来耕三先生曰く、江戸時代に本格的に改革を成功させたのは方谷先生ただ一人だと!

人間会議 2009年 6/15号 [雑誌]
宣伝会議
ASIN:B002BFMFG4 /雑誌
発売日:2009-06-05
ランキング&評価:---位
価格:¥ 950 [2009-06-18 Amache]
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特集:江戸・藩政改革にヒントがあった
先人に学ぶ地域活性のビジネスモデル

※画像をクリックすると拡大します。(別窓:PDFファイル)100年に一度の不況を乗り切るヒントを
江戸藩政改革から学ぶ(加来耕三)

・山田方谷
・田中玄宰
・上杉鷹山
・河合寸翁
・内山良休
・細川重賢

長引く不況下、企業も行政も、次々と新たな打開策を講じています。
一方、連日メディアを賑わすのは「100年に1度の不況」の言葉。
では、千年、2千年という歴史の中で見ればどうなのでしょうか。

変化の時期にこそ地に足をつけ、歴史に学べることがあるのではないか――。
そんな考えから、今特集では、江戸の幕藩体制下、
深刻な財政危機に向き合ったリーダーたちにスポットを当てました。

彼らのとった行動は、ワークシェアリングや教育振興、
そして巧みなPR戦略......、言葉こそ違いますが
それは、今まさに私たちが取り組んでいる施策そのものです。

今に活きる地域活性化、財政再建のヒントを、江戸の藩政改革に学びます。

......続きは本誌にて!
http://www.sendenkaigi.com/hanbai/magazine/kankyoningen/#article_02

誌面からのキーワード
歴史 地域活性化 財政再建 江戸藩政改革 山田方谷 田中玄宰 上杉鷹山 河合寸翁 内山良休 細川重賢 加来耕三
特集:キーワードは"哲学" 変革を導く人材をどう育てるか

※画像をクリックすると拡大します。(別窓:PDFファイル)生活者アンケート いま、子どもに必要な教育
高等教育への提言(21世紀大学経営協会)
教育現場の最前線
「チーム活動中心型学習」/ESD=「地球市民教育」
海外哲学に学ぶ
ソクラテス/孔子・孟子
グローバルに通用する人材教育とは
全日空・会長/日本経団連・副会長 大橋洋治

目下、産業界では「人材育成」が一大課題です。

求められるのは、現状の閉塞感に風穴を開ける発想力と、
個人と社会、企業と社会が持続的に関わり合うコミュニケーション力。

それを受け、高等教育の現場にも変化が起きています。

物の生産、流通が鈍化する景況下、
人材を"知的資産"として最大限に生かすことが社会の生命線。

変革を導く人材をいかに育てるか――。
大学、企業で取り組まれる「教育」の最前線を追いました。

経世済民を貫いた財政家・山田方谷

11月1日に長崎で行われた戊辰戦争研究会長崎集結で山田方谷について発表されたおなさんから発表資料と解説をいただきました。是非マニアックスで紹介させてほしいと言ったところ、快くOKしていただきました。
ありがとうございます。

ということで早速発表させていただきます。


 みなさん、こんにちは、戊辰戦争研究会の小名です。少し、自己紹介をさせていただきますと、1963年に大阪で生まれ、学生時代までは、大阪に住んでいました。就職で上京し、現在は、埼玉に在住しています。

仕事は、普通の会社員で、自動車やバイクだけではなく、ロボットのアシモや航空機のホンダジェット作っている本田技研工業に勤めています。幕末に興味を持ったのは、かれこれ30年近く前になりますが、大河ドラマ「花神」を観てからです。

今日は、「経世済民を貫いた財政家・山田方谷」というテーマで発表させていただきます。また、長崎といえば、坂本龍馬ですので、方谷の弟子、河井継之助と比較、司馬さん語録など披露しながら、話をすすめていきたいと思います。まぁ、研究発表と言うほどの内容ではありませんが、聴いていただけると幸いです

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経世済民を貫いた財政家・山田方谷その10(全10回)

経世済民を貫いた財政家・山田方谷その10(全10回)
11月1日に長崎で行われた戊辰戦争研究会長崎集結で山田方谷について発表されたおなさんから発表資料と解説をいただきました。是非マニアックスで紹介させてほしいと言ったところ、快くOKしていただきました。
ありがとうございます。



 最後に今日の発表のために参考とした文献を紹介しておきます。司馬さんの小説、エッセイは、あまりにも有名なので省いていますが、もし、今日の発表で、山田方谷のことに興味をもちましたら、ぜひ読んでみてください。入門書としては、「山田方谷」童門冬二著がいいでしょう。


 今日は、長崎龍馬会、長崎史談会、さるく観光課など多くの龍馬ファン、幕末ファンが来ておられますが、今日の発表を聞いて、ぜひ、司馬遼太郎の「峠」を読んで、河井継之助、山田方谷に興味をもっていただきたいと思います。今日は、このあともすばらしい講演、パネルディスカッショウンが続きますが、私としては、経営者の方には、山田方谷の「義を明らかにして、利を計らず利は義の和」と言う言葉を、また、その他の方には、「事の外に立ちて、事の内に屈せず」と言うことばを、記憶にとどめていてくだされればと思います。おそらく、長崎市田上市長に、山田方谷のことを聞く機会があれば、この二つの言葉を言われるに違いありません。約30分の発表でしたが、御清聴ありがとうございます。最後に、わたくしごとですが、私が勤務している会社、ホンダ製品もよろしくお願いします。アマチュア歴史家の発表ですから、詳しいことは、なかなかお答えできませんが、時間があるようでしたら、何かご質問をお受けします。

経世済民を貫いた財政家・山田方谷その9(全10回)

経世済民を貫いた財政家・山田方谷その9(全10回)
11月1日に長崎で行われた戊辰戦争研究会長崎集結で山田方谷について発表されたおなさんから発表資料と解説をいただきました。是非マニアックスで紹介させてほしいと言ったところ、快くOKしていただきました。
ありがとうございます。



 慶応3年 10月16日、上奏文は、10万石以上の大名に配られたが、ほぼ同じ文書を16日に、方谷が門弟に密書として出しています。密書の末文に、書かれていることを要約すると「13日、言い渡された書面の趣旨を天皇に申し上げたところ、昨15日に別紙のとおり御所からだされたのでお知らせします。」と言う意味です。方谷研究の第一人者・矢吹邦彦氏は、上奏文の原案を書いたのは方谷ではないかと調査しています。方谷は、当然、老中顧問として幕府の終焉を危惧していたに違いなく、できれば、平和的に新時代に移ることを望んでいたに違いありません。もし、これが事実であれば、大政奉還について、方谷は、龍馬につぐ功労者であることになります。

 山田方谷から。矢吹久二朗宛ての密書の内容です。赤線のところに「従来の旧習を改め政権を朝廷に帰し広く天下の公議を尽くし」と書いてあり、龍馬の考えと同じ内容です。

 こちらは、慶喜が朝廷に差し出した上奏文です。多少、手は加えられているもののほぼ同じ内容です。矢吹氏は方谷の草案を板倉勝静から渡された永井尚志(なおゆき)が、へりくだった文章に書き改めたと推測しています。

経世済民を貫いた財政家・山田方谷その8(全10回)

経世済民を貫いた財政家・山田方谷その8(全10回)
11月1日に長崎で行われた戊辰戦争研究会長崎集結で山田方谷について発表されたおなさんから発表資料と解説をいただきました。是非マニアックスで紹介させてほしいと言ったところ、快くOKしていただきました。
ありがとうございます。



 さて、幕末、次の時代が見えていたのは、坂本龍馬と陸奥宗光だけでしょうか?司馬さんは、「街道をゆく-台湾紀行-」の後書きで、河井継之助と山田方谷との会話を書いています。「継之助が方谷の元をさり、長岡に帰るときに、師匠の方谷に向かって、『方谷先生なら、三井の番頭が務まりますね』と師を誉めた。ほめられた方谷も喜んだ。侍の世が終わって町人の世が来ることを江戸末期に岡山の山中(さんちゅう)で子弟が話しあった」と書いています。
司馬さんは、この二人が次の時代は、商人の世になることを見ぬいていたことを言いたかったと思っています。そして、経済感覚で人物を評をしている二人の姿が目に浮かびます。

 街道をゆく「台湾紀行」の最後で、司馬さんは、こうも書いています。「この時代(幕末)、河井継之助は新しい国家の青写真を持った唯一にちかい-坂本竜馬も持ちましたが-唯一に近い人物だったのに歴史は、彼を忘れてしまっている。」と書いている。しかし、二人の立場が、まったく別の方向へすすめてしまいます。先ほど紹介した、手堀り日本史や小説のなかに、司馬さんに言うには、龍馬は、見る目を持って世界が見える場所、長崎に、亀山社中を置いた。
武市半平太は土佐藩をなんとか動かそうとしますが、それを見た龍馬は、半平太に、「武市、藩などどうでもいいではないか」と言います。そして、藩外に株式会社を作ります。かれは、郷士であり、藩への帰属意識が薄かったからかも知れません。逆に、河井継之助は、見る目を持っていたのに、見えない場所に、自分をもっていかざるおえなかった。小説の中、江戸で、福沢諭吉と会話で、福沢諭吉は、河井に「あなたを長岡藩士にしておくには、もったいない」と言うと、河井は、首を振り「長岡藩士であると言うことが、自分の立場である。」と言い、彼は、長岡藩そのものを株式会社にしようとした。

さて話を山田方谷に戻します。山田方谷と坂本龍馬と接点は、残念ながら記録には、残っていません。しかし、大政奉還については、間接的に、二人は関係があったようです。大政奉還の建白書は、坂本龍馬の船中八策をもとに、後藤象二郎→山内容堂→板倉勝静から、将軍慶喜に届けられています。さて、二条城で読み上げられた大政奉還の上奏文は、将軍慶喜から依頼を受けた永井尚志(なおゆき)が起草したと言うことが一般には知られています。
しかし、ここに、一つの仮説があります。上奏文の草案を方谷が書き、山田方谷→板倉勝静→永井尚志(なおゆき)を経て、徳川慶喜に届けられたという説です。大政奉還については、永井尚志(なおゆき)、板倉勝静ともに、慶喜に受け入れるようすすめていることから、板倉勝静を補佐した山田方谷が関与していることは、容易に想像できます。

経世済民を貫いた財政家・山田方谷その7(全10回)

経世済民を貫いた財政家・山田方谷その7(全10回)
11月1日に長崎で行われた戊辰戦争研究会長崎集結で山田方谷について発表されたおなさんから発表資料と解説をいただきました。是非マニアックスで紹介させてほしいと言ったところ、快くOKしていただきました。
ありがとうございます。



 次に、人気などはどうでしょうか?坂本龍馬は、全国的に、大人気で、地元では英雄ですね。継之助はどうでしょう。残念ながら、つい最近まで、長岡市では継之助は不評でした。だいたい、長岡市民でさえ龍馬を知っていても、河井継之助を知らない人は多いのではないでしょうか。

さて、作家の司馬遼太郎氏は、坂本龍馬を「竜馬がゆく」で書いています。この作品は、司馬ファンや普通の読者がよく読む小説です。一般の方の好きな司馬作品でのアンケートを取ると、かならず1位か2位にランクされます。しかし、河井継之助が主人公の「峠」は、10位にも入りません。ところが、熱烈な司馬ファンの集まりである司馬遼太郎記念館の友の会のアンケートだと、「峠」は、5位にランクされます。幕末ものでは、「竜馬がゆく」の次にランクされ、土方歳三を描いた「燃えよ剣」より上位に位置します。「峠」は、そういう意味で、玄人好きの小説と言えるかもしれません。

司馬さんの評価も、対象的です。「竜馬がゆく」の最後には、「その使命を終えると惜しげもなく天に召された」とあり、司馬遼太郎さんが書いた継之助の初期作品「英雄児」では、「英雄は、時と置き所を誤ると災いをもたらす」と書いてあります。しかしながら、司馬遼太郎さんは、「峠」を書くころからは継之助のことの考えも変わったようで、継之助を批判するようなことは言わなくなりました。


 司馬遼太郎のエッセイ・手堀日本史のなかで、ご自身のお好きな作品はで、司馬遼太郎氏は、この対称的な二人の人物の小説を「日本人について考え書いた愛着のある作品である。」と書いています。司馬遼太郎さんがなくなった後、司馬遼太郎記念館が造られ、司馬さんの義理の弟の上村洋行さんが記念館の館長をしておれれます。

私は、司馬遼太郎記念館の友の会会員でもあり、上村館長の講演が聞く機会がありました。竜馬がゆく、峠の作品についてのお話も聞くことがきました。「なぜ、司馬さんがこの二人の作品を書いたか?」について、上村館長は、「竜馬がゆくでは、人間の魅力が、人を動かし組織を動かし、国を動かした。こういう人物を書いてみたかった。」(司馬遼太郎記念館 上村館長 2005年5月 友の会交流ツァー講演)。それに対して「峠で、なぜ、司馬さんが、河井継之助を取り上げたかについては、本当のところはよく解からない。」(司馬遼太郎記念館 上村館長 2007年12月 長岡講演)と言っておられます。


 次の時代が見えていたという人物では、坂本龍馬が有名です。司馬さんは、「竜馬がゆく」のなかで、竜馬が陸奥宗光に向かって「刀がなくても、食っていけるのは、俺とお前だけだなぁ」と書いてある場面があります。これは、説明するまでもありませんが、刀を振りかざしているだけで食べていける武士の時代は、もう終わり、次の時代では、商売や貿易ができるような人物でないと稼げないという意味です。司馬さんは、この二人、竜馬と宗光が次の時代が見えていることを言いたかったに違いありません。

経世済民を貫いた財政家・山田方谷その6(全10回)

経世済民を貫いた財政家・山田方谷その6(全10回)
11月1日に長崎で行われた戊辰戦争研究会長崎集結で山田方谷について発表されたおなさんから発表資料と解説をいただきました。是非マニアックスで紹介させてほしいと言ったところ、快くOKしていただきました。
ありがとうございます。

 方谷には、三島中洲など多くの弟子がいます。また、来遊者としては、久坂玄瑞や会津藩の秋月悌次朗(明治以後、新政府に出仕)がいます。しかし、やはり弟子で有名なのは、越後長岡藩の河井継之助でしょう。安政6年に、弟子入りし、約半年間、方谷の元で継之助は、松山藩の藩政改革をつぶさに見聞しています。作家司馬遼太郎氏の「峠」を読んで河井継之助を知った方も多いと思います。

また、山田方谷の名を「峠」で知った方がほとんどだと思います。河井継之助については、継之助が去ったあと、方谷は、内弟子に「大変な男を弟子に持ってしまった」と語っています。継之助は、長岡にもどると方谷の元で学んだ改革を自藩で実践します。継之助は、最後には長岡藩・家老上席になります。

しかし、以外に早く、徳川幕府が倒れたため継之助の想いであった長岡藩武装中立の夢は薩長軍により潰えました。方谷は、最後まで「義」を貫き徹し戦争になったことには、批判していません。

 (さて、読者には、お詫びをしないといけません。主催者より、坂本龍馬、河井継之助、司馬遼太郎さんなど、なじみの人たちのことも話してほしいとの要請があり、話がとっぴな方向にすすみますが、お許しください。)

 河井継之助は、安政六年に、長崎にも訪問しています。会津藩士の秋月悌次朗や、長崎海軍伝習所にいた幕臣矢田堀景蔵にも会っています。

ここで、すこし横道にそれてみましょう。さて、長崎といえば亀山社中、海援隊の坂本龍馬でしょう。作家の司馬遼太郎は、「竜馬がゆく」で坂本龍馬を、「峠」で河井継之助を書いていますので、この二人を比較しながら、幕末の人物や作家司馬遼太郎がなぜ、無名だった幕末のこの二人にスポットを当てていったかを考えてみましょう。


 ここで、継之助と龍馬をあれこれ比較してみましょう。まず、生誕地ですが、龍馬は温暖の地、南国の土佐です。土佐藩は外様の24万石の大藩です。継之助はと言うと豪雪の地、北国(ほっこく)、越後長岡です。長岡藩は、譜代の7万4千石の小藩です。終焉の地は、どうでしょう。龍馬は大都会の京都で暗殺されます。継之助は、片田舎の只見で戦(いくさ)の傷がもとで亡くなります。

龍馬は、当然、暗殺で亡くなることは知りませんから死の直前まで、死のことを考えていなかったと思います。一方、継之助は言うと、戦の傷で、もう自分の体は何日も持たない。自分の遺体の処理まで考えていたと言われています。死後、龍馬も継之助も記念館と碑が造られますが、これも非常に対象的です。龍馬は、生誕の地、高知に立派な坂本龍馬記念館あります。

しかし、終焉の地、京都には、「坂本龍馬遭難の碑」があるだけです。ところが、継之助はこれとは反対で、長岡市には、幼少のころ育った家の場所には、「河井継之助邸跡の碑」があるだけですが、終焉の地、只見・会津塩沢には、継之助終焉の間を保存してある河井継之助記念館があります。ただ、3年前に、長岡にも河井継之助記念館ができたので、すこし様子が変わってきました。


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炎の陽明学―山田方谷伝
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ランキング&評価:50,388位 5
価格:¥ 3,465 [2006-02-13 Amache]
5 - 若い頃の河井継之助へのかすかな疑問が解けた
5 - 若い世代に読んで欲しい。


山田方谷に興味を持ったならば、是非読んで貰いたい一冊です。このサイト立ち上げの原点ともなった一冊で、幕末の方谷先生の緊張感がずんずんと伝り、手に汗握りながら読み終えてしまいます。さらに、この一冊で経済の仕組みや陽明学、儒学と言った中国の古代思想、幕末の日本の状況などいろいろなことを知ることも出来ます。とにかくおすすめ!是非是非!!
※大政奉還の上奏文のくだりに対しては賛否両論いろいろとありますが、それもふまえた上で、人間「山田方谷」感じてください!

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