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本丸内部


天守(国指定重要文化財)

木造本瓦葺き二階建ての建物で、内部の1階には囲炉裏と装束の間が、2階には城の守護神を祀った御社壇があります。古い木組みの構造の中に、美しい手斧(ちょうな)と槍鉋(やりかんな)の跡が見られます。


接統廊下
天守の構造は二重二階建てとなっており、
天守内部に入る玄関として八の櫓と天守をつなぐ廊下が接統廊下である。
左奥には石落としがある。

石落し


囲炉裏







天守は統治の象徴
修理時の調査では、天守の南と北側部分に創建時の部材が残されていることが分かりました。その部分をさらに詳細に調査したところ、外壁と内壁とが一体となった構造ではなく、壁内部が空洞であったことが確認されました。

通常、城郭建築では、銃弾等による攻撃が想定されることから、かなり厚く造られます。中には、砂が充てんされたものや、人頭大の礫などが塗りこめられたものもあります。今回確認された天守の壁構造から、実戦を想定していない建物であることがうかがえます。平素は、ふもとにある御根小屋(現・高梁高校)が城主の住まい、また政庁として使われ、事実上の城として機能しています。

山上の備中松山城は、統治の象徴として、城下からの見栄えを優先したものと考えられます。





◆ 戦前の修理で部材の交換

戦前の修理は、柱や壁面、床板など広い範囲に及んでいました。創建時のままの部分では、柱にマツ、土台にクリといった厳選された材が使われていますが、改修部分はアベマキ、クマシデ、カシなど臥牛山の立木が使われ、瓦も元のものより一回り小さい、当時の市販品で全面葺き替えられていました。戦前の文化財修復の限界だったといえます。 (広報高梁)



階段


3度目の大規模修理

今回、保存修理が行われた備中松山城天守(国重要文化財)は、1683年の建造で全国にわずか 12 しかない現存する天守です。
昭和 15 年(1940)に解体修理、同 35 年(1960)には部分解体修理が行われ、大規模な修理は今回が3度目です。山の上という厳しい立地条件に加えて、先の解体修理から約 60 年、部分修理から 40 年経過しており、かなり傷みが進行していました。

修理されたところ

天守の入口部分にあたる渡り廊下の下にある石垣がはらみ出し、建物自体が沈下し、天守本体にも影響を及ぼしていたため、建物を解体。さらに、その下の石垣部分も取り崩して、再度、旧来に倣って積上げ、建物も組み直しました。一方、天守本体も部分的に解体般公開します。して、やや傾いていた建物の建て起しを行いました。柱の根元も部分的に蟻の被害があったため、根継ぎを行っています。

また、外壁も部分的にはがれ落ちていたため、今回、全面に渡ってしっくいの塗り直しを行いました。この修理工事は、平成 13 年3月に着手し、総事業は2億1500万円。国庫補助を得て市教育委員会が実施しました。2月1日.3月末まで無料開放修理を終えた天守は、2月1日から一般公開し、3月 31 日までは、同修理工事の完成を記念して本丸内への入城を無料とします。修理時の調査で分かったこと (広報高梁)






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