文和四年(一三五五年)、大覚大僧正妙実上人の開基といわれ、寺は日蓮宗。総本山は身延山久遠寺の末寺。本尊は日蓮聖人婁定の十界互具大曼茶羅である。山門は備中松山藩板倉家の家老宅にあったものを明治八年に移築したものである。庭は江戸初期の作庭で三尊石組による枯山水で小さいながらも地方まれに見る庭園である。
本堂は元和年中(一六一七年頃)、池田備中守長幸公により再建されたが延享五年(一七四八年)、焼失し、現在の本堂は安永七年(一七七八年)に再々建立されたものである。
(情報元:城下町備中高梁神社寺院めぐり 高梁観光協会発行)
文和4年(1355年)、大覚大僧正妙実上人の開基といわれ、寺は目蓮宗、総本山身延山久遠寺の末寺である。
本尊は目蓮聖人莫定の十界五具大曼茶羅。山門は備中松山藩・板倉家の家老宅にあったものを、明治8年(1875年)に移築したもの。
庭は江戸初期の作庭で、三尊石組による枯山氷は、小さいながらも地方にまれに見る庭園である。境内には300年近いといわれる鳳風の松がある。本堂は安永7年(1778年)に再々建立されたもの。
(情報元:高梁観光百選 高梁観光協会発行)
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