▲トップページへ  ▲市内散策コーナートップへ
|寺巡りTOP頼久寺近似稲荷神社八重籬神社御前神社八幡神社木野山神社
正善寺松連寺薬師院定林寺安正寺龍徳院巨福寺道源寺寿覚院地図表示
定林寺(じょうりんじ)

曹洞宗格地寺院で、寛永二〇年(一六四三年)、備中松山藩主水谷伊勢守勝隆公が下館定林寺をこの地に移し、備中国僧録所となった。本尊は釈迦牟尼仏である。境内には水谷勝隆公及び三代勝美公の二基の五輪塔がある(市指定重要文化財)。二代勝宗公は江戸に残し泉岳寺に葬られている。

松山踊りは勝隆公の時、慶安元年(一六四八年)踊り始めた。水谷公三代は玉島新田の開発や高梁川の船通し等開発に努力し、寛永十九年(一六四二年)、五万石で入封し、元禄六年(一六九三年)除封になった時の検地高は十一万石にものぼった。

(情報元:城下町備中高梁神社寺院めぐり 高梁観光協会発行)



曹洞宗格地寺院で、寛永20年(1643年)、備中松山藩主・水谷伊勢守勝隆が、下館(茨城県)定林寺をこの地に移し、備中国僧録所となった。
 本尊は釈迦牟尼仏。境内には水谷伊勢守勝隆及ぴ三代勝美の二基の五輸塔がある。寺宝に水谷勝隆・勝宗父子の画像その他がある。
水谷3代は玉島新田の開発、高梁川の船通し、牛市場の開設、城下町の完成、松山城の修復などを成し遂げた高梁市最大の恩人である。


(情報元:高梁観光百選 高梁観光協会発行)
定林寺墓地内にある水谷家初代、水谷勝隆3代、勝美の暮塔
(市指定重要文化財)




  

 Copyright(C) 2001 備中高梁観光案内所