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山田方谷と炎の陽明学TOP山田方谷からの密書佐藤一斎の塾の塾頭に 致良知と知行合一
藩政の大改革富国強兵大政奉還文の秘密新政府入閣を断る

致良知知行合一

では、方谷が学んだ陽明学とはどのような学問なのか。中国の明の時代、王陽明(一四七二〜一五二八)によって樹立された陽明学は、危機の哲学とも戦場で学ぶ実践学ともいわれる。王陽明は敗北を知らない勇猛果敢な歴戦の武将で、数万の軍を率いる司令官でもあった。その陽明学には二つの大きな支柱がある。その一つが「致良知」だ。

陽明学と対立する朱子学の理と気の二元論によれば、理(本質)の現象である気の密度が高まって人間が誕生し、気の分散で死を迎える。すなわち、生きている人間は密度の高い気の集合体とみなした。

しかし、王陽明は人間は単なる気の集合体ではなく、理と気の一体化したものと考えた。身体は気の集合体からできているが、生まれたときから同時に心を持っている。心即理、心は理である。理と気をもつ人間は小宇宙そのものなのだ。心が私利私欲に染まりさえしなければ天の理がそなわる。王陽明は、その理を「良知」と言い換え、それをしっかり具現することを「良知を致す」、つまり「致良知」として、教育の中心に据えた。

あと一つの支柱が「知行合一」だ。知っていながら行わないということはまだ知らないということに等しい。知は行なしに成立しないのである。王陽明は経験や体験によってこそ真に物事が知られる、という徹底した経験主義者であった。「心を鏡のごとく磨け。人は磨き切った己の鏡の心をよりどころとして行動せよ。知っていながら行わないということは、まだ知らないに等しい」これが王陽明が説く陽明学の神髄である。朱子学から陽明学に傾斜した方谷は「誠」をとりわけ重んじた。表意文字である「誠」の語源は「言」と「成」。つまり、言うを成す。陽明学の知行合一に限りなく近い思想である。



※:上記の文章は現吉備国際大学教授 矢吹邦彦先生が1997年5月に雑誌用に執筆・掲載されたものです。
当ホームページでは矢吹先生ご本人の許可を得た上で紹介・掲載させていただきました。
上記文章の無断転載はおやめください。



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