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十六日 晴 先生逗留 朝より人来、先生一寸 出来り、亦昼後より人来、 不絶、酒ありて、咄す暇も なく、夕方三島来、此時抔ハ 先生も余程酒を呑み、 三島之言、不得正を極論ス、 傍ニありて、先生、三島之 趣ヲ見る処あり、三島 帰りて後、又々人来り、 終ニ夜七ツ前迄酒ある、 直ニ出ルと被謂けれとも、 留て寝る、此夜地震、此間毎日なり |
16日 晴れ 今日は朝から人が出入りしており、先生もしばらく出かけていた。また、昼を過ぎても人がきては絶えず誰かが酒を飲んでいる。 全く話をする暇さえない。 夕方になって三島がきた、そのときなどは先生もよほど酒が回っていたか、三島の一言に対して、完膚無きまでに論破してしまった。それにしても、先生は三島に関してもとてもよく見ている。 三島が帰った後も、また誰かが来た。結局この日は明朝4時頃まで酒の絶えることはなかった。 この日もまた地震があった。このところ毎日地震がある。 |
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十七日 晴 先生、朝五前、水車を立 帰る、北海之小鯛と云て、 大なるヲ被下、前夜之 松茸、彼是心配、忝事也、 先生を送て飛石迄 行、昼頃水車帰、 夫より掃除、誂物、終りて 花屋来る、誂物ハ大躰 覚ある故一々不記、夜、進 暇乞ニ来る、扇子ニ詩ヲ書て 被送、進帰りて、栄太郎 来、夜四頃迄談帰、 昼三島来、花屋ニ宿ス |
17日 晴れ 先生は朝九時前に水車を立ち、一旦自宅の方へ帰られた。 その際、「北の海でとれた小鯛だ」といって、大きな魚を下さった。 前日の松茸の一件といい、そのほかかれこれと心配をかけた上にこんな物までいただき、全くかたじけない事だ。 その後、先生を送って飛石までゆき、昼頃に水車に帰ってきた。 昼からはひたすら「水車」の掃除に専念する。 水車を立つ準備が完了した、荷物を整えていったん「花屋」へ移る。 その夜、進氏に九州方面への遊学の旨を伝えると、進氏は扇子に詩を書いて送ってくれた。その後、進氏が帰った後に栄太郎が別れの餞別にやってきた、栄太郎もその夜10時頃まで話をした後帰宅。 そうそう、昼に三島中洲もやってきた。 |
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18日の朝、継之助は松山を発つと南に向かって歩き始めた。 |
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