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三日 晴又曇 風アリて、寒如昨日、朝、 七日市を立、夫より山ニ カヽリ、一たん登り切し所ニ 奈須野与市之墓(是より壱丁とあり)、 七日市ヲ入りテ、松山迄ハ、皆 山ニて、間々ニ「谷沢山上供ニ 家モ」村モアリ、家も数々 アリケレ共、甚竒険之道 多、甚難儀ニ覚、併シ 其道屈曲縦横、絶碧多、 松山川へ出る、弐里計リノ所抔、 別し妙景也、松山川ヲ渡り、 先一案心して、七ツ半頃、 花屋着、荷物を預ケ、 若シ郷状ニても参居 かと、其侭進昌一郎へ行、 其夜ハ花屋ニ宿 |
3日 風があったが寒さは昨日と同じくらいだった。 朝になって七日市を発った。しばらく歩き山には入り登り切ったところに那須野与一の墓があった。(注1) 七日市から備中松山までは山ばかりで所々に谷や民家もあるがだいたいにして危険な道が多く覚悟してゆかなければならす難儀な道だ。 高梁川をのぼり、午後5時頃なんとか松山の 花屋に着いた。一安心である。宿に荷物を預け、そのまま川面町にある進昌一郎氏のお宅へ伺う。 その夜は花屋に泊まる。 |
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四日 晴 水車移る 五日 晴 米壱斗買 柳ゴウリ壱 油紙包 壱 右ハ蘭画・鮫、入置 右弐品、本町濱野屋庄次郎へ誂置 六日 晴 七日 晴 八日 晴 夜風雪、始雪也 九日 朝雪、其後晴、風強 |
4日 晴れ 先日宿泊した花屋から「水車」へ移ってきた。 5日 晴れ 米一斗、絵、置物などを購入。 この買い物は本町の浜屋庄次郎に頼んで取り置きしておいてもらった物。 6日 晴れ 7日 晴れ 8日 晴れ 夜になって雪を伴う風が吹いた。初雪である。 9日 朝のうち雪 その後ははれたが風が強い一日 |
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十日 晴 夜雨 十一日 晴 後雪 十二日 雪 後晴 両三日、西風強、尤覚寒 十三日 晴 夜雨 十四日 晴 風強 夕方雪 十五日 朝雪 昼晴 夕雨 十六日 晴 風アリ 十七日 晴 十八日 晴 十九日 晴 廿日 晴 |
10日 晴れ 夜に雨 11日 晴れのち雪 12日 雪のち晴れ 前三日間は西風が強く、ここに来てからはもっとも寒い日だった。 13日 晴れ 夜雨 14日 晴れ 風が強く 夕方雪 15日 朝は雪 昼は晴 夕に雨 16日 晴れ 風あり 17日 晴れ 18日 晴れ 19日 晴れ 20日 晴れ |
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廿一日 朝雪、寒強、硯水氷 廿二日 晴 廿三日 晴 廿四日 朝雪 後晴 風強 廿五日 晴 始て雪ノ溜ヲ見 廿六日 晴 氷、寒強 廿七日 晴 廿八日 先生、水車着、 十二月五日迄逼留、 長瀬帰、先生 着ヨリ日記不記 |
21日 朝雪 とても寒い日で氷が張っていた。 22日 晴れ 23日 晴れ 24日 朝雪 その後 はれたが強風 25日 晴れ 今日、松山に来て初めて雪が積もるのを見た。 26日 晴れ 氷も張り寒さの強い一日 27日 晴れ 28日 先生が江戸から帰ってこられた。この後12月5日までここ「水車」で残務をこなされ、その後ご自宅の長瀬に帰られた。 先生も帰ってこられたので、そろそろこの日記も終わろうと思う。 |
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十二月六日 弐朱と十七匁、庄次郎へ 渡、右ハ米弐斗ノ代也、 外ニ弐匁、大根代遣ス 先生、十六日水車来り 十九日帰 此頃より、道中記行 考記し、漸ク終る、 何も用ノアル事ハ ナケレ共、他日御両親へ 御咄之積と、思附し 事を記す、前後 紛乱、字モ不別、又 見れハ色々思附る事 出来らん、若入用之事 もあら、其節一二ヲ抜、 精書すへし 十二月廿二日 夜 終 |
12月6日 弐朱と十七匁を庄次郎に渡した、この金は米2斗ぶんの代金である。そのほか大根の代金として2匁を渡した。 この「塵壺」という日記は私が長岡に帰った折、両親への土産話のための覚え書きとしてつけた物である、思いついたままに記しているため文章が前後していたり誤字脱字も多数あるが、思いつきでそのとき書いたことを見返してみると、そのときのことを思い出す。 もし、またこの文の中で必要な物が出てきたときは、必要な部分をあらためて清書することとしよう。 12月22日 夜 日記を終わる |
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(注1)那須野与一の墓 |
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