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トップページ天誅組とは天誅組写真集原田亀太郎新島襄の手紙
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天誅組は、土佐脱藩浪士の吉村寅太郎らを中心に構成され、尊皇攘夷をもとめて決起した武装集団である。

備中松山藩の立場とは対局にいたこの天誅組に、松山藩士「原田亀太郎」がいた。

最終的に原田の夢は叶うことはなかったが、維新後、原田と交友のあった「新島襄」が原田宅に焼香に訪れる。その際、新島が妻の新島八重におくった「絵入りの手紙」は当時の高梁の風景を克明に絵入りで伝えている(新島手紙でも絵入りは非常に珍しく、レプリカが常に展示されている)。

新島はこの高梁紀行のおり、高梁で宣教活動もおこなった。
そして、その影響を大きく受けたのが「福西志計子」であり「留岡幸助」でであったのだから歴史とはおもしろい。

このコーナーでは、その「天誅組」と「原田亀太郎」そして「新島襄の手紙」を取り上げる。


このコーナーは「維新残影」の著者である守田正明氏のおよび天誅組記念館館長で天誅組の研究家である草村克彦さんの全面協力の下お送りいたします。

紹介している写真や文章の著作権は守田正明に有ります。コーナー内の写真や文書の転載はご遠慮くださいますようお願いいたします。また、多くの写真の提供や文の転載に快く許可をいただいた守田正明氏に心より感謝いたします。



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