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内田耕平

備中の国出身の天誅組の志士として、原田亀太郎ともう一人、内田耕平という人物がいます。残念ながら内田耕平に関する詳しい資料は残っていませんが備中窺屋郡吉田村出身という記述が残っています。

「窺屋郡」についてですが、窺屋郡と言う地名は備中の国には存在せず、誤表記であるとすると、備中の国で該当する地名であれば「窪屋郡(くぼやぐん)」と考えられます。

参考までに、窪屋郡は都宇郡(つうぐん)と合併し、明治33年から都窪郡(つくぼぐん)になっています。

吉田村に関しては、管見では窪屋郡には見当たりませんでした。
こちらで把握できた近世期の「吉田村」は、次のとおりです。

   1)小田郡吉田村:江戸期〜明治22年。 笠岡市吉田
   2)都宇郡吉田  :江戸期〜明治9年。  倉敷市中庄の一部
   3)英田郡吉田村:江戸期〜明治22年。 美作市(旧・作東町)吉田
   4)赤坂郡吉田村:江戸期〜明治22年。 建部町吉田
   5)美作国大庭郡吉田村:江戸期〜明治22年。 真庭市(旧・中和村)吉田
   6)吉野郡吉田村:江戸期〜明治22年。 美作市(旧・東粟倉村)吉田
   7)備前国和気郡吉田村:江戸期〜明治22年。 和気町吉田

備中出身はまず間違いないと思われますので、内田耕平の出身地は1番か2番であると考えられます。さらに字の感じからおそらく2番の都宇郡吉田、現在の倉敷市中庄のあたりではないかと思われます。




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