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吹屋とは、もともと鉱山師の名前であるが、吹くところという意味から吹屋という地名が生まれたと言われる。笹畝坑道跡が、吹屋から中野に向けて行く途中にある。この坑道は、江戸時代から人正時代にかけて採掘され、黄鉄鉱・硫化鉄鉱を産出した。現在の坑道は、一九七八(昭和五三)年に復元されたものである。吹屋銅山精錬所跡には、たくさんの「カラミ」と共に、当時山上までのびていた煙洞の一部が残っている。吹屋の町並は一九七七(昭和五二)年五月十八日、国の伝統的建造物群保存地区に選定された。せきしゆうがわらつまい.ぬここうし赤い石州瓦、妻入り造り、塗り込み造りベンガラ格子をめぐらした堂々たる家並が続いている。
「銅山の町」「ベンガラで栄えた町」として江戸末期から明治にかけての華やかなりし頃の銅・砂鉄・雑穀問屋、ベンガラをあつかう商家、旅館、飲食店など山間の市場町としての吹屋の町並がしのばれる。また、現在でも小金山、銅栄寺など銅山の町としての名が残っている。成羽町坂本には西江邸が、同じく中野には広兼邸があり、屋敷というよりも城郭と呼ぶほうがふさわしい豪壮な建物が今に伝えられている。地の底から積み上げたような高石垣を持つ広兼邸と、臼壁と赤い石州瓦を基調としたいく棟にも及ぶ建物とそれを縫って巡らされている苔庭とで構成されている西江邸とは対称的である。これら二つの豪勢なたたずまいをまのあたりにすると、その富力でもって全国に知られた往時をしのぶことができる。
<出典:高梁歴史読本 高梁青年会議所発行>




  

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