高梁市内に於いて新選組内に松山藩士がいたという事実は驚くほど知られていない。 これは当時の藩主、板倉勝静が幕府の筆頭老中という要職にいたため、新政府からずいぶん憎まれ「新選組」という言葉すら口にすることが出来なかったという歴史的背景がある。 しかし、深く調べてみると松山藩と新選組には意外なほどの接点があるのに気づかされる。 このコーナーでは、第1章では新選組に発足当初から加入していた元松山藩士「谷三兄弟」を、そして第2章では新選組そのものを作った当事者のひとりである板倉勝静と新選組殿数奇な運命を取り上げる。