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第16話「元締役」
江戸の勝静より方谷に呼び出しがあった。すでに隠居を迎える年となっていた方谷は、この機会に隠居の許しを請おうと江戸にいる藩主勝静の元に向かう。江戸藩邸で深々と頭を下げ隠居を願い出た方谷だったが、勝静から発せられた言葉は方谷にとってあまりにも意外な物だった。
「安五郎、そちに元締役及び吟味役への就任を命ずる」
この青天の霹靂ともいえる沙汰を受けた方谷はひたすら辞退する、しかし勝静も一歩も引かない。実はこのとき方谷にはもう一つ気がかりなことがあった。方谷が江戸に赴く前から弟平人の体調が思わしくない、診断結果は肺病だった。方谷は混乱しながらも江戸でよく聞くと言われている薬を買い弟にことづける。その後、方谷は元締め役を引き受けるという決断をし、急いで松山に帰る。しかし方谷が松山に着いたとき、16才の弟はすでにこの世を去ったあとだった。
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第17話「松山藩の実態」
方谷の元締め役兼吟味役就任の報は瞬く間に藩内の知れるとこととなった。この異例の抜擢は、当然のごとく多くの既存藩士の怒りをかった。方谷が江戸から帰藩した後も噂は噂を呼び、藩内には方谷を揶揄する狂歌が飛び交い、やがては方谷暗殺の噂までもが飛び交うようになる。
その間、方谷は弟の死の悲しみに浸るまもなく藩の実質の財政調査を行っていた。調査は連日昼夜まで及び、様々な数字が浮かび上がってきた。それまで公称5万石といわれた松山藩の石高が実質は1万9千石ほどしかないという。

調査はさらに続く、方谷は当時の大福帳では資産と負債の項目がはっきりしないことを悟り、製油商の経験から「藩財家計引合収支大計」という独自の藩財政の収支の試算表を作った。そしてその結果、恐ろしい事実が浮かび上がった。

藩の現在の借金は10万両を超える、松山藩はその事実をひた隠しに隠し借金のための借金を重ねた。実質の藩財政は破綻ししていたのだった。

「できるか・・・」驚くべき結果をはじき出した瞬間、方谷の背中は凍り付いた。
「しかし、やるしかあるまい・・」方谷は帳簿を閉じると、しばらく目をつむり、そして立ち上がった。
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第18話「藩政改革の大号令」
1850年3月藩主勝静は江戸から帰るや、家老達に召集令をかけた。御根小屋の大広間に集められた松山藩家老らのまえで方谷は自らがまとめた「申上候覚え」を読み上げた。
この「申上候覚え」とは現在の松山藩の具体的な状態が一切包み隠さずつづられていた。

「・・・以上」
方谷が「申上候覚え」を読み終えたとたん家老達はあらためて聞かされた「10万両・・」の言葉に息をのんだ。

家老達が口々に言葉にならない言葉を発しているとき。藩主勝静はすくりと立つとこういった。
「今後は余がまず率先して倹約に取り組むこととする。おまえ達家老も全員本日より倹約にはいること、そして、今後方谷に関するいかなる悪口も一切許さない、方谷の言葉は余の言葉と思うように、また今後の改革に反対する物は厳罰に処す。」

藩政改革の大号令である。方谷はすぐに倹約令を発布し、改革が始まったことを藩民に伝えた。そしてまず一番はじめに方谷が行ったのは"自らの俸禄を大幅に削減する"ことだった。そしてその後倹約の対象を"中級以上の武士と豪農・豪商が中心"とした。
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第19話「方谷、大坂へ」
ある夜、方谷は自分の作った表簿とにらめっこしながらなにやらぶつぶつといっている。
よく朝、方谷は藩の筆頭家老ら数名を自らの部屋に呼ぶと神妙な面持ちで語り始めた。

「現在松山藩には一〇万両の借金がございます。しかし石高は二万両ほど、この中から藩士らへの俸禄と江戸・大坂の屋敷の管理費、必要経費などを引くと一両も残りませぬ、この中から利子や元本を返済するのは現時点では無理でございます。」

家老らはざわつき出す。
「しかし、道はございます。」方谷は続ける。
「私自身が大坂に出向き、現在の松山藩の現状を包み隠すことなく説明して参ります。そしてその上で借金の棚上げをお願いするのです。」

「馬鹿な!そんな恥さらしなことができるか!」家老の一人が大声を上げた、その怒鳴り声に方谷は静かに淡々と答えた。

「借りた物は返す、此は当たり前のことでございます。武士として最も恥ずべきことは実のない偽りで塗り固めたことを言い続け、結果返済不能となることでございます。今までのような小信を守り少しばかりの利子をだましだまし払っていることこそ恥、銀主に借金の一時棚上げをお願いするのは大いなる信義を守るためでございます。

数日後方谷は大阪に向かう
大坂の屋敷に集められた銀主達は、これから何かが起こりそうなただならぬ予感を感じていた。

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第20話「大阪蔵屋敷を廃止」
銀主達の説得に成功した方谷は早速銀主達との約束である大坂蔵屋敷の廃止の行動に入った。この蔵屋敷、今までは大坂の役人と商人達に任せっきりにしていたためこれ以上ないほどの利権と賄賂の温床となって売る場所だった。蔵屋敷担当は徹底的に方谷にくってかかる。
「この蔵屋敷は松山藩のカナメ、ここが無くなってしまっては松山藩も滅ぶ!」
それに対し方谷の回答は明快な物だった。
「米は藩内で保管し相場の高いときに売る」
どうしても納得いかない蔵屋敷担当であるが「方谷の言葉は勝静の言葉と思え」の台詞は藩士すべてに浸透していた。
「判った、山田先生、あなたに任せる。松山藩のため、板倉様のため、よろしく頼む」

この蔵屋敷の廃止は結果約千両の節約につながる。
数日後、すでに方谷は松山藩内にいた、方谷は藩内の地域40カ所の有力庄屋に「郷倉」の設置を命じた。この蔵に米を収納し、相場を見ながら売買する、そして飢饉が起きた場合植えた民百姓に緊急の米を配給する役目を果たした。
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第21話「藩札回収」
方谷には懸案があった。それはこの方谷改革の最大の難所でもあり、どうしても避けては通れない「藩札改革」である。
松山藩の藩札はそれまでの通貨失政と度重なる偽札の出現で全く価値を失っていた。
「藩札を立て直せなければ改革成功はあり得ない」
その夜、方谷は新見上市天領の庄屋であり門下生である矢吹久次郎の宅を隠密に訪ねた。
「矢吹君、実は折り入って頼みがある、君にとっても悪くない話だ・・・」

数日後、藩士、民百姓すべてが腰を抜かすほど驚いた発表が方谷から出された。
「これから2年間の期間に限り、藩発行の5匁札すべてを正価と引き替える」
今まで紙切れ同然で捨てても惜しげもなかった藩札を正価と交換するというのだ!当然藩民達はあわてふためいた。
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第22話「撫育方設置」
松山藩は「撫育方」という役所を新設する手続きを進めていた。撫育方とは藩内の鉄鋼や農業、特産品の製造や販売を藩の専売制とし、生産の管理から物流販売までを手がけるという役所だった。
方谷はそれまで藩内で物流や販売を手がけていた商人を役人に抜擢すると、能力ごとにそれぞれの役に割り振っていった。
さらには松山川の対岸の近似村に大規模なたたらば(鉄工所)を建設し備中各地から有能なたたら職人をスカウトした。

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第23話「里正隊」
松山藩の有力庄屋の息子達が御根小屋に集められた。
「これから君たちに剣術と砲術を指南します。」
方谷は関ヶ原の合戦以来ほとんど進化していない古来の剣術では近代武装を進めている他藩には勝てないと感じていた。しかし、経済改革では何とか言うことを聞く武士達も、戦いに関しては元々百姓の方谷の言うことを聞こうとしない。
そこで方谷が始めたのが、「西洋戦術で武装した百姓達で国を守る」というアイデアだった。
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第24話「永銭発行」
近似の河原に藩民達の人だかりができている。なんと、これからいままで集めた5匁札すべてを焼却するというのだ。
このイベント開催にあたり、方谷は大々的な宣伝を実施、当日は何万人という人手となった。
「はじめ!」の号令とともにうずたかく積まれた札束の山に次々と火が放たれてゆく。
人々はこの一種異様な後継に時がたつのを忘れ見とれた。
そして数ヶ月後、方谷は満を持して新通貨「永銭」を発行した。
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第25話「教諭所設置」
方谷改革は順調に進み、人々の暮らしは目に見えて楽になってきた。田畑は実り、道は整備された。
「やっと、ここまできかた・・次は・・教育だな」
方谷にとっての改革とは文武両道、武も文も両方が足りていなければ改革成功とはいえない。
方谷は藩内の各地に「学問所」や「教諭所」を設置、武士であっても百姓であっても学問を学びたい物は身分を超えて勉強ができる環境を作った。
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