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熊田恰、柚木亭にて切腹西爽亭・写真とアクセス倉敷・玉島の歴史
西爽亭(柚木亭)
写真とアクセス

江戸時代、柚木家は玉島の大庄屋で、備中松山藩(現在の高梁市)から奉行格の待遇を受けていた。西爽亭は、藩主の板倉侯が玉島を巡回する折りに宿泊場所にした建物で、江戸中期の庄屋建築の遺構をよく残している。海運で栄えた玉島港の南東の山麓に建っこの建物は、主屋に付属する座敷棟で、木造平屋建て、本瓦葺きになっている。

天明年間(1781〜1789)に建築されたと伝えられ、備後国神辺(現在の広島県神辺町)の儒学者・菅茶山(かんちゃざん)によって「西爽亭」と名付けられた。
西爽亭を構成する座敷棟・御成門・茶室及び庭園の中で、御成門・式台玄関が、建築上特に優れている。

参考資料:倉敷市教育委員会文化財保護課発行冊子
御成門(おなりもん)

柚木亭の入り口

本瓦葺きの薬医門形式で、屋根の四隅に意匠の凝った鬼瓦を乗せている。

西爽亭を示す看板

西爽亭を示す看板(これは意外と見落とす)

「倉敷の玉島という街の一角に西爽亭という幕末維新の史跡がある。

ここは備中松山藩(現高梁市)の飛び地で、鳥羽伏見の戦いで賊軍となった松山藩士が多数故郷を目指して引き上げてきた。
藩老熊田恰の率いる約160名であったが、新政府側に包囲され熊田は自身の命と引き替えに部下の安堵を願う。この結果、両者の戦いも回避された。(草村氏レポート)
次の間その1

取り次ぎの間から見た自刃の部屋(次の間)

取次の間(とりつぎのま)
広さ6畳の部屋。この部屋の右手にある奥行半間・幅2問の棚も、西爽亭の特色をよく表している。
次の間その2

お成りの間より見た次の間

次の間(つぎのま)
比較的天井が高く、ゆったりとした数寄屋風の書院。慶応4年(1868)、この部屋で備中松山藩の家老・熊田恰が自刃し、幕末の戦火から玉島を救った。広さ10畳の部屋
次の間その3

熊田恰自刃の部屋(次の間)


隣が上の間(かみのま)
比較的天井が高く、ゆったりとした数寄屋風の書院広さ10畳の部屋。床・違棚・付書院が備わっている。この部屋に、備中松山藩の藩主板倉公が宿泊した。
熊田恰の血痕

天井にある血痕


彼の自刃した場所こそが、この西爽亭の次の間です。
天井に残る血痕の跡。この場に立った自分の身体に命の大切さと日本人の原点を見たような気がした。山田方谷・原田亀太郎・熊田恰。今一度、備中のいや我が日本の偉人を見直そう。
(草村氏レポート)
熊田恰の血痕その2

自刃の(次の)間の天井にある熊田恰の血痕を指す草村氏。

熊田自刃の部屋の天井に残る血痕が何故か白でしたが、後日西爽亭に確認しますと「あまり生々しいので公開の前に拭かれ」たそうです。
(草村氏レポート 撮影:草村千茶)
高梁の熊田神社碑の拓本

高梁の熊田神社碑の拓本
(お成りの間=上の間にかかっていた)
熊田神社

玉島の羽黒神社内摂社の熊田神社
熊田の写真

西爽亭隣にある生涯学習施設にある熊田の写真
嘆願書下書き

嘆願書下書きなど陳列コーナー

嘆願書下書き

助命嘆願書下書き(清書は政府軍に出したとか)
式台玄関

式台玄関(しきだいげんかん)
入母屋の屋根には、凸型に緩やかに傾斜したむくりのある唐破風様の妻飾がついている。幅2間。

写真は平成16年10月10日の西爽亭管理の方(4人で交代されているとか)と草村氏。

下書きを側に置いて自刃したために血痕が残ったそうです。
命日には西爽亭持ち主の柚木(ゆのき)家の当主が高梁の墓所である道源寺に出向かれているそうです。(撮影:草村千茶)

西爽亭へのアクセス

所在地 〒713-8102 倉敷市玉島3丁目8−25
電話 086−522−0151
開館時間 午前9時〜午後5時
休館日 毎週月曜日・祝日・年末年始(12/28〜1/4)・その他
交通手段
入館料 西爽亭部分  :無料
生涯学習施設:有料(下記の表をご覧ください)

※使用のきまり
指定場所以外での喫煙はできません(西爽亭部分は全面禁煙・火気厳禁です)。

次のような場合は入館や使用を制限することがあります。
1)公の秩序または善良の風俗を乱すおそれがあるとき。
2)施設または展示物等を損傷するおそれがあるとき。
3)営利を目的としているとき。
4)竹木の伐採・損傷や植物の採集等をするおそれがあるとき。
5)広告物や貼り紙等をするおそれがあるとき。
6)特別な設備または造作をするおそれがあるとき。
7)その他、施設の管理上支障があるとき。


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SpecialThanks
写真撮影:草村克彦氏&草村千茶氏
この写真の無断転用はご遠慮下さい。





  

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