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十九日 曇 昼後雨 夜ニ到り、山田先生来ル 廿日 晴 先生留 廿一日 晴 同 廿二日 曇 夕方よる夜中 雨 同 廿三日 終日雨 同 此日先生江戸之命アル |
19日 曇り 昼過ぎより雨 夜、暗くなってから山田先生が来られた。 20日 晴れ 先生が泊まった 21日 晴れ 昨日と同じ 22日 曇り 夕方より雨 昨日と同じ 23日 終日雨 昨日と同じ この日、松山藩主板倉公より、山田先生に江戸出張の召命があった。(注1) |
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廿四日 晴 先生帰、此間様々之談 ヲ聞、昼後先生帰後、 進・林・三島来ル、夜迄談、弐朱余り出、酒 廿五日 晴 朝、林来談 廿六日 晴 廿七日 晴 曇勝 廿八日 晴 廿九日 晴 夕方雷 少雨 夜、進来ル 九月朔日 晴 □ 二日 朝晴 昼時分少雨 山田行 四 三日 晴 山田 四日 晴 山田 三夜・・・・・・・・・九 五日 晴 水車帰 |
24日 晴れ 朝、山田先生が水車へやってこられた。昼過ぎに帰られるまでの間、いろいろな話を聞いた。先生が帰られた後、進、林、三島の三名が水車にやってこられた。酒2升ばかりを出した。 25日 晴れ あさ、林富太郎氏が来て話をした。 26日 晴れ 27日 晴れのち曇り 28日 晴れ 29日 晴れ 夕方雷を伴って少し雨 夜、進昌一郎氏が来た。 9月1日 晴れ 2日 朝晴れ 昼、時々雨 3日 晴れ 長瀬、山田邸に宿泊 4日 晴れ 山田邸 5日 晴れ 水車へ帰る |
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六日 晴 七日 曇 昼大雨 晴 此日、城ノ東ニ当、二里 計リ在、野山ト云所 行、右ハ士ヲ一昨年より 遣と云事也、十間在所 稽古場所・学校在、七間之所 在、弐間ツヽ之所二ケ所、 合弐十壱間かと思る、 面白仕方、手之届クニハ 感心之事也、沢々之広ク 多きニハ案外也、野山三ヶ村 之一と云、更代之供送る、帰 ノ咄ヲ聞、夕方水車帰、 右之所行ニハ余程ノ山坂アリ、 坂之上より城を一目ニ見る、城、 臥牛之名アリ |
6日 晴れ 7日 曇り 昼に大雨 のち晴れ この日は城の東2里くらいのところにある「野山」というところに視察に行った。ここ野山では一年ほど前から松山藩の下級武士を屯田兵(注2)として駐留させているということである。 広さ約10間程度(約18m:一間=1.8m)程度の場所に武道の稽古場所や学校があった。 また、七間(12.6m)のところ、二間(3.6m)のところが二カ所、あわせて二一間程度の広さの場所であると思われる。 なかなか興味深い場所である。この場所に多くある谷川の広さは意外であった。 この「野山」という場所は三ヶ村の一つであるという。 帰りに聞いた話では最初いやがっていた下級武士達も、田を作り畑を耕し秋になり収穫を得ると、大いに家計の足しとなり、ついには妻子を始め、一家丸ごとをその地に招き生活したという。 夕方にやっとのこと水車に到着した。野山にゆく道中にはかなりの山坂がある。そうそう、帰り道の坂の上から松山城が見えた。城のある山の名を臥牛山(がぎゅうざん)という |
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(注1)江戸出張の召命 |
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