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十八日 晴 花屋 昼前中咄し、先一端、 城下引取り、廿日ニハ出故、 願始其節談すると 被云、昼後松山帰る、 山田より之書を持て、 進昌一郎行、文武宿 花屋ニ宿を取る、予 より先ニ、会津藩土屋 鉄之助宿ス、無程松城 藩と云、ホラガイ・大鼓・采 配ヲ持、一人来る、此者ハ 兼長岡へ来る者なり、 昌一郎も宿来り居、 土屋と三人談ス |
18日 晴れ 花屋に宿泊 昼前まで山田邸で話をしていたが、「一旦松山城下へ戻り待つように、二十日には方谷氏も公務で松山城下まで出るので、弟子入りの件についてはそのときに話す」と、云われた。 昼食をいただいた後、松山城下まで戻ることとした。 城下の勝手がよくわからなかったのだが、山田氏より紹介状をいただき、氏の門下である進昌一郎(注1)を訪ねた。 進氏によると松山では文武宿という書生のみが利用する宿があり、遊学にきた書生はあらかたそこに泊まるらしい、よって進氏の紹介により、文武宿「花屋」(注2)に宿を取ることとなった。 花屋に入ると同じ北国の会津藩士・土屋鉄之助(注3)がすでにチェックインしており、さらにしばらくすると松代藩の稲葉隼人という男が入ってきた。 この稲葉という男はなんでもホラガイの修行をして全国を巡っているという変わった男で、昔長岡にもきたことがあるらしい。 しばらく3人で話をしていたが、そののち進氏も花屋に現れ土屋と進氏と3人で話が盛り上がった。 |
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(注1)進昌一郎−進鴻渓(しんこうけい) |
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