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魚水實禄は幕末時の山田方谷、板倉勝静、松山藩藩士達の書簡や資料を集めた書簡・資料集で「山田方谷全集」編纂に先駆けて編纂された備中松山藩関係史料集としても知られています。

明治44年に発行された後、一度も復刻されたことはなく、現存する本も少なくほとんど世に出回ることがない松山藩幻の資料です。

(ちなみに現存する魚水實禄の流通価格は6万円~10万円以上)

 

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(写真は明治44年に発行された実物です。)
復刻総数は300部のみ

2016年6月発売予定ですが、それに先駆けて先行予約を行います。
※解説書の作成をすることになり、発行を10月中旬へ延期しました。お待ちして頂いております方には大変申し訳ございません。現在鋭意編集制作中に付きしばらくお待ちいただければと存じます。またこれに伴い9月いっぱいの受付まで特別価格での予約受付となります。

今回予約分にかぎり定価12000円(税込み12,960円+送料)の所、10000円にてご購入頂けます。
※早期予約分に限り「書籍本体+消費税+送料+代引き手数料」コミコミ価格で10,000円ポッキリ!です。

初回予約は300部限定となりますため、お早めの予約をよろしくお願い致します。

※発行は2016年6月~10月を予定予定しています。
※発送、お支払いは郵便局の代引きのみとなります。

※注文は下記フォームの他、FAX、郵送にて受け付けています。
※請求書発行、後払い対応可能です。その場合、その旨備考にご記入ください。追って弊会よりご連絡差し上げます。

 

予約販売は終了しました。

 

 

魚水實録に収録されているエピソードの一部をご案内します。

 

エピソード1
方谷の「北方交易論」
明治初めに木戸孝允や大村益次郎が唱えたが、最初に唱えたのは方谷であった。
現在幕府は外国からの圧力により開国を迫られている、開国に際しては満州、朝鮮との交易が急務である。法人を派遣し、物産を開発し、これを日本に運ばせる。基地には佐渡と隠岐を使用する。すぐにも清国、朝鮮と交渉しなければならないが、これが決裂した場合、直ちに出兵を行う。

エピソード2
方谷から中洲、林への書簡
文久3年5月、長州藩がイギリス・フランス・オランダ・アメリカ相手に下関で上位を決行した、幕府老中板倉勝静の相談役だった方谷にも、事件前後に様々な情報が入っている。
方谷は様々な指示を勝静に送るが、勝静の動きは鈍い。魚水實禄にはこのときの方谷と三島中洲の書簡も収録され、幕府の狼狽、長州の攘夷決行に対する方谷の意見、そして事件の顛末までは克明に記録されている。

エピソード3
松山城開城以後、行方不明の藩主勝静候の捜索、主家の再興はは最大の課題だった。
松山藩藩士達は偽名を名乗り、隠語を使って京都、大阪から北海道に到るまで潜行した。
大石隼雄は小山謹造、三島中洲は島屋禎蔵、川田甕江は玉屋文作など、隠語も大いに使われ、勝静候は「玉椿」幼君は「紅梅」いずれも松山特産のたばこの銘柄で、藩士達は煙草屋となり全国で勝静候を捜索した。

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