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日本維新の会の平沼議員の衆議院代表質問

Filed under: ニュース・お知らせ,講演・イベント — admin @ 6:14 PM 2013年1月30日

本日、日本維新の会の平沼議員の衆議院代表質問で山田方谷先生について
生い立ちから藩政改革まで非常に事細かく取り上げられました。

平沼先生!すばらしかったです!

放送を見逃した皆さん、是非ご覧ください。

【代表質問をおこしたものです。】

平成25年1月30日(水) 午後1時~
衆議院本会議において(NHK中継)

安倍内閣総理大臣の所信表明に対する代表質問
(日本維新の会 代表 平沼赳夫議員)

まずはじめに、・・・・・・

(略)

本題に入る前に、わが岡山が生んだ幕末江戸後期の偉人、備中松山藩の山田方谷について触れてみたいと思います。彼は今より200年程前の1805年に現在の岡山の高梁市で生まれました。家は貧しい農商で、菜種油の製造と油の販売を行っていました。幼くして両親を失った方谷は陽明学を学び、苦学して家業に精を出しました。

彼は、神童の誉れ高く、その学徳が藩主に認められ、僅か9才の折、将来は何になりたいかとこう問われた時、治国平天下と答えたといいます。大学にある修身斉家治国平天下とは、身を修め、家を斉え、以って国を治むれば天下は平かであると、この言葉を、9才の少年が堂々と述べたというので、皆、びっくりしたそうであります。彼は、京都や江戸へ出て学問に勤しみ、武士に取り立てられる迄に至りました。

江戸では佐藤一斎の塾に入り、佐久間象山と二傑と称される彼が塾頭になったわけであります。32才で故郷の松山藩に戻った方谷は、藩校の有終館の学頭、教授となりました。方谷は教育家として学識・経倫に一生懸命邁進し、40才で殿様の教育係にもなったわけであります。

松山藩は当時、大変な貧乏藩で石高は5万石でしたが、方谷が調べたところ実際は1万9千石程しかなかったと、こういう風に言われております。そして、借金は膨大で10万両の借金が大阪の両替商にあり、利息を払うだけでも四苦八苦の状況でした。藩主板倉勝静に乞われて、全権を委任されて元締役兼吟味役、今でいえば財務大臣に就任したわけであります。

方谷は現在の日本に匹敵する財政難に必死で立ち向かいました。方谷は節約の大号令を発し藩札の刷新、産業の振興、藩政改革、文武の奨励、軍政の確立、新田の開発等々で一生懸命、それに取り組み、現在の貨幣価値でいうと600億円にもなる10万両を僅か7年で完済し、そのうえに10万両の蓄え迄持つことができました。

彼は、節約でお金を浮かし、大阪の両替商には正直に内情を示し、再建計画書を提出、利息をまけてもらい、この資金で製鉄のためのたたらを造り、鉄製の三本又の備中鍬を大量製造して、当時、日本の総人口の8割を占めている農民に向かって江戸でこれを販売いたしました。これが羽の生えたように売れ、藩の収入に大変寄与しました。これで方谷は街道の整備、港の建設を行い、流通面でも配慮したわけであります。

当時は藩の発行した紙幣、藩札が紙屑同然になって、それぞれの家に眠っていました。方谷は藩札を持って来れば金貨、銀貨、銅貨に換えると、交換を約束をいたしました。藩中の人々は半信半疑で藩庁に藩札を持ってきました。約束通りに金、銀、銅貨に交換してくれ、藩の中心にある河原に旧札がうづ高く積まれました。方谷は衆人環視の中で、これに火をかけて燃やしました。新たに藩札を発行しました。

新しい藩札には信用があり、瞬く間に流通をし、隣の藩にまで浸透したようです。こうして情報を開示し、資金を創出し、産業を起こし、信用ある藩札の発行、金融改革、財政改革を行い、必要な公共事業にも手を伸ばしました。また、方谷は新田の開発にも熱を入れ、新田からの米には年貢をかけませんでした。農民だけでなく、武士にも屯田兵制度で新田を開発させ、これも無税扱いにいたしました。

これは税制改革の一つといえ、経済は盛んになりました。また、軍備にも着目し、里正隊、武士でない一般人からなる軍隊を創設し、総理のご地元の奇兵隊の10年も前に、この里正隊を設立しました。

これを久坂玄端もわざわざ見学に来て、多大の影響を与えたものといえます。山田方谷は72才で没するまで、教育、それに邁進し、彼の教育の教えを受けた人々が大変活躍をしました。彼の藩政刷新の効果絶大で、板倉勝静は徳川幕府の筆頭老中にまでのぼりつめることができました。

方谷は勝静の右腕として活躍し、大政奉還の精神も、彼が起草したといわれております。現在の日本と同じような状態となっていた松山藩を実質1万9千石から20万石の実力とまで言われるようにした、山田方谷のこと、我々は、今、今後の参考に大いになると考えております。(場内拍手)

このことを念頭に置いて、以下、所信にはないことを含めて質問をさせていただきます。

(略)皇統、日本国憲法、の問題

次に経済政策の問題です。・・・・・・(略)
こういった現状にあって、我が国の産業を支える多くの中小企業にきめ細かく対応しつつ、競争原理を導入して力強い産業を振興して、新たな市場を生み出していく決断が必要です。
前述の山田方谷の話ではありませんが、是非、総理のお考えをお聞かせいただきたいと思います。

(略)外交安全保障、TPP、財政制度改革、社会保障、震災の復興の問題

山田方谷は、今の日本の現状と類似した備中松山藩の大改革を単なる経済復興だけでなく、金融、財政、必要な公共事業、流通、教育体制、軍備改革と総合的に成し遂げました。
私どもは総理の姿勢に共感を覚えるものでありますが、是非、「三本の矢」を総合的な抜本改革によって日本再生のため、頑張っていただくことを祈念し、私の代表質問を終わります。
(以上)

【 安倍首相の答弁 】
 只今、平沼赳夫議員から、格調高い、そして、示唆に富んだご質問をいただきました。お答えをさせていただきます。

(略)
(以上)