瑞山にあった「方谷庵」を寄贈
瑞山にあった「方谷庵」を現在所有する大平健太郎(89)さんが「方谷を忍び、たたえる場に」と、高梁市観光協会に「方谷庵」を寄贈する申し出をしている。これをうけ、観光協会では市中心部への移転・復元を目指している。
この方谷庵は方谷が住んでいた長瀬塾の対岸、「瑞山」を方谷が開墾する際の休憩所で、方谷は瑞山を開墾する際はこの建物で寝泊まりしていた。明治維新後、方谷庵は地元農家が所有していたが、老朽化が目立ってきたため1976年頃高梁方谷会が高梁市街地への移転を計画、しかしこのときは計画を断念、この後、大平さんが譲り受け1980年一人で自宅近くに移転、一般公開してきた。
方谷庵の作りは木造の平屋で6畳の和室と台所がある、26平方メートル、現在の状態は柱は一本をのぞいて当時のままだが壁や床は修復、屋根は藁葺きから瓦葺きに替えてある。方谷が使用した当時の行灯も残っているという。
寄贈の理由について大平さんは、「現在の場所は周囲に駐車場がなく、近所に迷惑をかけている。方谷生誕200年で盛り上がっている機会に、一番いい方法で活用してもらいたい。」とかたる。
観光協会では大平さんの記憶を元に出来る限り当時の姿で復元したい考え。経費に関しては全市的な組織で寄付を集める考え。
(2005/07/10(Sun) 06:14:11)


笠岡で「小田県」と方谷の関わりを考える講演会が開かれました。
平成17年7月9日、笠岡市笠岡の市中央公民館で「小田県」と方谷の関わりを考える講演会が開かれました。
小田県とは明治時代初期に現岡山県西部と広島県東部をエリアとした県で現在の笠岡あたり。講演会は同館主催の郷土史講座の一環で、笠岡市役所職員で「山田方谷に学ぶ会」の会員の網本善光さんを講師に招いて話を聞いた。
網本さんは、方谷の改革の実績を紹介し、「行動や実践を重んじる陽明学者として、未来志向型の改革に取り組んだ。当時は他藩も改革をしていたが、方谷はまず市民の暮らしを考えた(中国新聞)」と語った。
また、維新後、方谷は小田県の招きで約一ヶ月笠岡に滞在した史実を提示して、方谷は小田県が進めていた殖産興業策の一環として製糸業を興すよう助言したのではないか。小田県の将来に期待した方谷が、改革家としての顔を見せたのだろう(中国新聞)」とも語った。
(2005/07/10(Sun) 06:00:03)


「大きな人の歩いた道」の映像と曲が公開されました。
山田方谷シンポジュウム<雲中の飛龍・方谷先生の思いをかたちに> で高梁高校コーラス部によって披露された山田方谷イメージソング「大きな人の歩いた道」の映像と曲が公開されました。
「大きな人の歩いた道」はシンポジュウムのコーディネーターで衆議院議委員の小野晋也氏の作詞作曲、とても印象的ないい曲だと僕は思います。
制作はひらもとさん。是非ともご覧下さい。
こちらのページの右下「山田方谷」コーナーの「高校合唱団(ナローバンド)」をクリックしてご覧下さい。
(2005/07/03(Sun) 19:40:33)