その意を誠にすとは、自らを欺くことなきなり。
悪臭を憎むがごとく、好色を好むがごとし。
「大学伝六章」

「修身」への第一歩は「誠意」である。「誠意」とは自分自身を欺かないことである。
悪臭を嗅ぐと本能的に「嫌だ」と感じるように「悪い心」が自分に芽生えたら本能的にそれを取り除く。
美しい花や景色を見ると本能的に「素敵だ」「素晴らしい」と感じるように「良い心」芽生えたら本能的にそれを実行するのである。
「誠意」とは、辞書をひくと「私利・私欲を離れて、正直に熱心に事にあたる心。まごころ。」と言う意味と出てきますが、ここで「誠意」とは「自分を欺かないこと」と言い切っています。

「誠意=自分を欺かない」だけならば、野田総理の施政方針演説の「誠意」はまさにその通り、自分に正直に政策を押しすすめておられますが、「誠意」と言う文字の前には「正心」の言葉が隠れていて「(正しい心を持って)自分を欺かないこと」が「誠意」といっています。

儒学では基本理念に「人のために何が出来るか」があります。
儒学で重要な誠意とは、人のために「本能的にわき上がってくる善の心を誠実に行動に移す」心構えではないかと思います。