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中江藤樹

なかえ-とうじゅ 【中江藤樹】
(1608-1648) 江戸初期の儒者。近江の人。名は原、字(あざな)は惟命(これなが)、通称与右衛門。伊予国大洲藩に仕えたが、のち帰郷。初め朱子学を信奉、孝の徳目を重んじ「翁問答」を著す。晩年、王陽明の著書に接し、我が国陽明学の祖となる。村民を教化し徳行をもって聞こえ、近江聖人と称された。門下に熊沢蕃山がいる。

近江聖人中江藤樹記念館
http://www.touju.jp/

熊沢蕃山

くまざわ-ばんざん 【熊沢蕃山】
(1619-1691) 江戸前期の陽明学者。京都の人。字(あざな)は了介。中江藤樹に学び、岡山藩主池田光政に招かれ治績をあげた。「大学或問(わくもん)」などで政治を批判し、幕府に咎(とが)められて禁錮中に病死。著は他に「集義和書」「集義外書」など。

荻生徂徠

おぎゅう-そらい 【荻生徂徠】
(1666-1728) 江戸中期の儒学者。江戸の人。名は双松(なべまつ)、字(あざな)は茂卿(しげのり)、通称は惣右衛門。徂徠は号。物部氏より出たので物(ぶつ)徂徠などと称する。初め朱子学を学んだが、のち古文辞学を唱え、古典主義に立って政治と文芸を重んずる儒学を説いた。柳沢吉保・徳川吉宗に重用された。著「弁道」「論語徴」「園随筆」「南留別志(なるべし)」「訳文筌蹄」など。

上杉鷹山

うえすぎ-ようざん 【上杉鷹山】
(1751-1822) 江戸中・後期の大名。米沢藩主。名は勝興・治憲(はるのり)。鷹山は号。藩政の改革に努め、自らも節倹を率先励行、財政改革・殖産興業・新田開発を行い、藩政を立て直した。藩校興譲館を設立。

佐藤信淵

さとう-のぶひろ 【佐藤信淵】
(1769-1850) 江戸後期の農学者。出羽の人。江戸に出て儒・蘭・国学・神道を学ぶ。富国勧農・海防・兵学などの論説多く、絶対主義国家を構想する。宮崎安貞・大蔵永常と並んで江戸期の三大農学者とされる。著「経済要録」「農政本論」など。

佐藤一斎

さとう-いっさい 【佐藤一斎】
(1772-1859) 江戸後期の儒学者。美濃岩村藩家老の子。名は坦。別号、愛日楼。昌平黌(しようへいこう)の儒官となる。朱子学を講じたが、学説としては陽明学に拠(よ)り、渡辺崋山・佐久間象山・林鶴梁など多くの俊秀を輩出した。著「言志四録」「愛日楼文詩」など。

二宮尊徳

にのみや-そんとく 【二宮尊徳】
(1787-1856) 江戸後期の農政家。通称、金次郎。相模国の人。合理的で豊富な農業知識をもって知られ、小田原藩・相馬藩・日光神領などの復興にもあたる。その陰徳・勤倹を説く思想・行動は報徳社運動などを通じて死後も影響を与え、明治以降、国定教科書や唱歌などにも登場。

大塩平八郎

おおしお-へいはちろう  【大塩平八郎】
(1793-1837) 江戸後期の陽明学者。大坂の人。もと大坂町奉行の与力。号は中斎。家塾「洗心洞」を開き子弟に教授。天保の飢饉(1836年)のとき救済を町奉行所に訴えたが入れられず、蔵書を売って難民を救う。翌年2月門下の与力・同心などと、幕政を改めさせるために挙兵したが失敗して自殺。著「洗心洞箚記」

山田方谷

やまだ-ほうこく
山田方谷は、文化二年、阿賀郡西方村(現高梁市中井町西方)の農商の家に生まれきゅうた。名は球、通称は安五郎で、方谷というのは号である。五歳の時から新見藩儒者丸川松陰のもとで朱子学を学び、神童と言われていたとのことである。両親の死によってやむなく家業の製油業を継ぐが、そのかたわら学業にも励かつつねむ。その様子が藩主板倉勝職の目に留まり、文政八(一八二五)年、二人扶持を与えられ、藩校有終館の会頭となる。江戸遊学後は朱子学から陽明学に転じ、陽明学者熊沢蕃山に多大な影響を受けた。嘉永二(一八四九)年、勝静が藩主となると共に元締役兼吟味役に抜擢され、ついに藩政の表舞台に立つことになる。そして、方谷の手腕によって、松山藩は、負債十万両を返済したのみならず、さらに十万両の余財をみるに至ったのである。

河井継之助

 

かわい-つぎのすけ
幕末の長岡藩家老。名は秋義。号は蒼竜窟。佐久間象山・古賀謹堂に学び、開国論を唱える。戊辰戦争では中立をはかったが、官軍が認めず、長岡城の激戦で重傷を負い、死亡。

西郷隆盛

さいごう-たかもり 【西郷隆盛】
(1827-1877) 維新の三傑の一人。通称、吉之助。号は南洲。薩摩藩の下級藩士の出。島津斉彬(なりあきら)の知遇を受け、国事に奔走。第二次長州征伐以後、倒幕運動の指導者となり、薩長同盟に尽力。大総督府参謀として征東軍を指揮して東下、江戸城を無血開城させた。維新後、参議。のち、征韓論の議を唱えたが入れられず下野、西南戦争に敗れて城山で自刃。

吉田松陰

よしだ-しょういん 【吉田松陰】
(1830-1859) 幕末の尊王論者・思想家。長州藩士。名は矩方(のりかた)、通称は寅次郎。兵学を学び、長崎・江戸に遊学、佐久間象山に師事した。ペリー再来の時、密航を企てて、下獄。のち萩の自邸内に松下村塾を開き、高杉晋作・久坂玄瑞・伊藤博文ら維新の指導者を育成。安政の大獄に連座、刑死した。

橋本左内

はしもと-さない 【橋本左内】
(1834-1859) 幕末の志士。越前福井藩士。号、景岳。緒方洪庵・杉田成卿(玄白の孫)に医学と洋学を学び、のち藩校明道館学監となった。将軍継承問題で、一橋慶喜の擁立に尽力し、安政の大獄によって斬首された。

高杉晋作

たかすぎ-しんさく 【高杉晋作】
(1839-1867) 幕末の志士。長州藩士。名は春風。字(あざな)は暢夫(ちようふ)。号は東行(とうぎよう)。吉田松陰門下。下関砲撃に備えて奇兵隊を結成、また、1865年以降、藩の主導権を握って藩論を倒幕に転換、第二次長州征伐の幕府軍を圧した。

安岡正篤

やすおか-まさひろ 【安岡正篤】
(1898-1983) 国家主義者。大阪生まれ。1924年(大正13)行地社を結成、27年(昭和2)金鶏学院を創立、新官僚に影響を与える。国粋主義団体国維会に参加。第二次大戦後も政財官界首脳に信奉者がいた。

三島由紀夫

みしま-ゆきお  【三島由紀夫】
(1925-1970) 小説家・劇作家。東京生まれ。本名、平岡公威(きみたけ)。東大卒。絶対者の希求、美的死生観、様式美への憧憬を昇華させて唯美的世界を構築。その傾向はしだいにナショナリズム的色彩を強めた。割腹自殺。著「仮面の告白」「潮騒」「金閣寺」「鹿鳴館」「憂国」「豊饒の海」など。