経世済民を貫いた財政家・山田方谷その7(全10回)
11月1日に長崎で行われた戊辰戦争研究会長崎集結で山田方谷について発表されたおなさんから発表資料と解説をいただきました。是非マニアックスで紹介させてほしいと言ったところ、快くOKしていただきました。
ありがとうございます。

 次に、人気などはどうでしょうか?坂本龍馬は、全国的に、大人気で、地元では英雄ですね。継之助はどうでしょう。残念ながら、つい最近まで、長岡市では継之助は不評でした。だいたい、長岡市民でさえ龍馬を知っていても、河井継之助を知らない人は多いのではないでしょうか。
さて、作家の司馬遼太郎氏は、坂本龍馬を「竜馬がゆく」で書いています。この作品は、司馬ファンや普通の読者がよく読む小説です。一般の方の好きな司馬作品でのアンケートを取ると、かならず1位か2位にランクされます。しかし、河井継之助が主人公の「峠」は、10位にも入りません。ところが、熱烈な司馬ファンの集まりである司馬遼太郎記念館の友の会のアンケートだと、「峠」は、5位にランクされます。幕末ものでは、「竜馬がゆく」の次にランクされ、土方歳三を描いた「燃えよ剣」より上位に位置します。「峠」は、そういう意味で、玄人好きの小説と言えるかもしれません。
司馬さんの評価も、対象的です。「竜馬がゆく」の最後には、「その使命を終えると惜しげもなく天に召された」とあり、司馬遼太郎さんが書いた継之助の初期作品「英雄児」では、「英雄は、時と置き所を誤ると災いをもたらす」と書いてあります。しかしながら、司馬遼太郎さんは、「峠」を書くころからは継之助のことの考えも変わったようで、継之助を批判するようなことは言わなくなりました。

 司馬遼太郎のエッセイ・手堀日本史のなかで、ご自身のお好きな作品はで、司馬遼太郎氏は、この対称的な二人の人物の小説を「日本人について考え書いた愛着のある作品である。」と書いています。司馬遼太郎さんがなくなった後、司馬遼太郎記念館が造られ、司馬さんの義理の弟の上村洋行さんが記念館の館長をしておれれます。
私は、司馬遼太郎記念館の友の会会員でもあり、上村館長の講演が聞く機会がありました。竜馬がゆく、峠の作品についてのお話も聞くことがきました。「なぜ、司馬さんがこの二人の作品を書いたか?」について、上村館長は、「竜馬がゆくでは、人間の魅力が、人を動かし組織を動かし、国を動かした。こういう人物を書いてみたかった。」(司馬遼太郎記念館 上村館長 2005年5月 友の会交流ツァー講演)。それに対して「峠で、なぜ、司馬さんが、河井継之助を取り上げたかについては、本当のところはよく解からない。」(司馬遼太郎記念館 上村館長 2007年12月 長岡講演)と言っておられます。

 次の時代が見えていたという人物では、坂本龍馬が有名です。司馬さんは、「竜馬がゆく」のなかで、竜馬が陸奥宗光に向かって「刀がなくても、食っていけるのは、俺とお前だけだなぁ」と書いてある場面があります。これは、説明するまでもありませんが、刀を振りかざしているだけで食べていける武士の時代は、もう終わり、次の時代では、商売や貿易ができるような人物でないと稼げないという意味です。司馬さんは、この二人、竜馬と宗光が次の時代が見えていることを言いたかったに違いありません。