11月1日に長崎で行われた戊辰戦争研究会長崎集結で山田方谷について発表されたおなさんから発表資料と解説をいただきました。是非マニアックスで紹介させてほしいと言ったところ、快くOKしていただきました。
ありがとうございます。

理財論では、方谷のもう一つ有名な言葉が書いてあります。「総じて善く天下を制する者は、事の外にたちて、事の内に屈せず」。これは、大所高所に立って物事を見よ、目先の事に惑わされてはいけない。方谷は、財政については、「財の外に立ちて、財の内に屈せず」と言い換えて財政再建にあたります。
数字の増減ばかりに気を取られ、目先の利益を追うと、物事の本質を見失うという意味です。企業や個人、国、地方自治団体が負債を抱え始めると、物事の本質を考えずに場当たり的な手当をすると、ますます事が悪化すると言う意味です。わかってはいながら、なかなか行えないのが実情ですが、方谷はこれを強く戒めています。
繰り返し何度も言いますが、方谷は、経済問題を「銭勘定だけでは解決できない」と言っています。 「義を重んじて、人としてどう生きるか」を明確にしないといけないことを強調しています。私は、このことは非常に重要だと思います。

藩政改革のために、方谷は、先ほど紹介した「理財論・擬対策」をもとに、6つの政策を実施しています。産業振興は、松山藩の北の山脈には、良質の鉄が採取ができ、これを利用して、三本刃の備中鍬を生産、大阪の商人ではなく、江戸で直接販売しています。負債整理は方谷の「義」の真髄をあらわす政策です。「大義を守るためには、内実を暴露するのはやむおえない。」と言い、方谷は、大坂商人に、表高5万石であるが内実は、2万石にも満たない粉飾決算を明らかにしています。
大坂商人に負債返済のため利息の棚上げを申し入れています。方谷は、元金の返済のための政策を大坂商人に説明し、間違いなく元金を返済できるとわかった商人たちは、方谷の申し入れをうけました。幕末時、方谷を有名にしたのが、藩札刷新政策です。経済の血液である藩札の信用がなければ経済発展は望めないと考えた方谷は、産業振興で得た利益を、藩の金庫が空になるのを恐れずすべての藩札を回収し、二度と藩の持ち金以上に藩札を発行しないことを見せ付けるため、高梁川の川原で、多くの藩民の前で、旧札をすべて焼却しました。
そして、一気に新札を普及させました。これ以後、松山藩の藩札は他藩にまで信用される藩札となっています。その他、上下節約政策、教育改革、軍政改革を実施しています。

今後の研究の課題となるのが、幕政にどれほど、方谷が関わったかです。備中松山藩での藩政改革の資料は数多くあるのですが、板倉勝静公が老中になると、方谷は老中顧問になります。そのあたりの資料文献が少なく不明な点が多くあります。
「続再夢日記」には、「文久2年閏8月1日、老中板倉勝静公 横井小楠の説を拝聴する。方谷同席す。」「文久2年9月11日、政事総裁職松平春嶽公 山田方谷に時事に関する意見を尋ねる。」と言うことが書かれています。小楠と方谷は、基本的考えが違っており、幕政について、しばしば対立したそうです。
小楠は、「幕府は、攘夷・開国について、朝廷の勅命に背いているので謝罪せよ」と言う立場でしたが、方谷は、「幕府は、朝廷から政権を委ねられており、外交問題でも朝廷の勅許を得る必要はない」と言う立場でした。方谷は、幕府を擁護すると言うより、幕府、朝廷ともに筋を通せと言う意味です。小楠は、春嶽のスタッフという責任のない立場なので自由に発言できましたが、方谷は、松山藩の家老と言うライン長であったため、筋やけじめを重んじています。