大坂から命からがら脱出してきた慶喜一行はボロボロになりつつも品川の港にたどり着いた。「江戸にはまだ大量の兵力が残っている、ここより体制を立て直し、薩長を迎え撃つ。」勝静は息巻いていた、しかし慶喜は違った。

「余はミカドに抵抗などしておらん、これより謹慎に入る。」

慶喜はそう宣言すると上野の寛永寺に引きこもってしまった。
その後、江戸城は山岡鉄舟や勝海舟の力により無血開城する。

このときすっかり取り残されてしまったのが時の筆頭老中だった板倉勝静その人だった。徳川と命を共にすると公言してきたその徳川が無くなってしまった。
慶喜に江戸を離れて謹慎するよう命じられていた勝静はいったん新政府軍に投降し宇都宮に護送された。ところが宇都宮を大鳥圭介率いる旧幕府軍が襲い、新選組を率いる土方歳三が勝静を奪回、勝静はそのまま会津軍に護衛されて会津に入った。

勢いに乗る旧幕府軍は奥羽越列藩同盟を結成し東軍として結束、勝静は奥羽越列藩同盟の議長に就任した。
しかし勢いもここまでだった。奥羽越列藩は西軍の前に次々と敗北4ヶ月間の戦争で東軍は敗北した。

その頃、松山藩では血眼になって勝静を探していた。朝敵となってしまった松山藩の復権のためには、代表者である板倉勝静の存在がどうしても必要である。しかし勝静の足取りは宇都宮を最後に途絶えてしまい、全くの行方不明となってしまった。

「なんとしても玉椿を見つけねばならん」
岡山藩占領下で指揮を採ったのは方谷の高弟三島中洲だった。玉椿とは勝静を指す隠語である。占領下、秘密会議では必ず隠語が用いられた。
川田、林、大石、井上といった面々が変装し、名を変え江戸~東北と勝静を捜し回った。

そんな折り、方谷の元に人夫請負業の松屋吉兵衛という男が訪ねてきた。伝言を預かっているという。そして吉兵衛は語った。
「長岡の家老、河井継之助様より伝言を預かって参りました。河井様は『河井は今日まで先生の教訓をもとに生きてまいりました』-」
吉兵衛の言葉を聞いたとたん、方谷の動きが止まり、ぴくりとも動かなくなった。
あまりの思い空気に耐えかねた吉兵衛は「私はこの辺で–」といそいそと退席した。
空気を察した妻みどりはすべての使用人を母屋から退出させた。
目を閉じてずっと座している方谷、しかし、瞳の奥からはとめどなく溢れ出てくる。
方谷は何時間も何時間もすすり泣いた。