慶喜の使った奥の手とは、政権を朝廷に返上するという物だった。政権を返上してしまうと徳川家も一藩にすぎなくなってしまう、しかし慶喜は朝廷には行政の執行能力はなく、徳川に泣きついてくるだろうと読んだ。

大政奉還の決定が慶喜から勝静に密かに伝えられた。勝静はすぐ様にそれを方谷に連絡、大政奉還の原文の制作を命じる。

【勝静動向】
慶応3年(1867年)
• 9月23日、老中次座となる。(松平定昭の老中首座に伴う)
• 10月19日、老中首座に再度なる。(松平定昭の老中首座辞職に伴う)
• 12月30日、老中次座に再度なる。(酒井忠惇の老中首座に伴う)