「徳川氏とともに倒れん」勝静の腹は決まった。しかしこのことは再び方谷を失意のどん底に落とした。
幕府はやっと見えた復権の兆しをもっと確固たる物にしようと、再びターゲットを長州藩に絞った。しかし時すでに遅し。坂本龍馬の仲介により長州藩はそれまで幕府側にいた薩摩藩と薩長同盟という秘密同盟を結束、倒幕姿勢を明確にしていた。
そうとは知らない幕府軍は長州に軍を派遣、しかし動くはずの薩摩藩は動かず幕府軍は大敗を期す。そんななか、あろう事か将軍家茂が病死してしまう。

勝静は三度方谷を京に呼んだ、このとき方谷は何かをあきらめたのかの様になにも言わずに従った。しかし、このときすでに方谷には幕府復興の情熱は消え失せていた。
質問に機械的に答える方谷を見た勝静は愛用の脇差しを方谷に与えると松山に帰るよう申し渡した。

しばらくして将軍に就任したのは家茂と将軍職を争った慶喜だった。
慶喜は幕府の復権のために様々な手を尽くすが時代もすでに幕府を見限っていた。
慶喜はついに奥の手ともいえる政策を打ち出す。

【事件・出来事】
• 第二次長州征伐

【勝静動向】
慶応元年(1865年)
• 1月7日、長州征伐凱旋。
• 10月22日、老中に再任。勝手掛を兼帯。伊賀守に遷任。
慶応2年(1866年)
• 1月6日、軍事取扱を兼帯。
• 6月19日、老中首座となる。(水野忠精、老中御役御免に伴う)
• 12月28日、勝手掛の兼帯御役御免。