ふがいない!方谷は怒っていた。京都での幕府の度重なる失態を受け、方谷の怒りは頂点に達していた。
「もはや幕府には何の期待も持てません」
方谷は勝静に激しく老中辞職を願った。あまりの方谷の執念に勝静はついに辞職を決意、しかし将軍家茂に辞職を留意されるとすぐさま辞職を撤回してしまった。

完全にへそを曲げた方谷は怒って長瀬の自宅に帰ってしまう。もちろん切腹覚悟の上である。こうなったらテコでも動かない、一切の執務を放棄し御根小屋登庁すら拒んだ。

第40話「長州征伐出兵」

長瀬の自宅で籠城を続ける方谷に思いがけない朗報が飛び込んできた。藩侯板倉勝静が14代将軍家茂の怒りを買い罷免され松山に帰ってくるというのだ。
ふっと光がもっと多様な気がした。

勝静は長州征伐の先方部隊の長という命を受け帰ってきた。勝静が老中を罷免になる少し前、京の町では池田屋事件が発生、新選組により長州藩士が血祭りに上げられた。それを恨んだ長州側は京都を灰にした蛤御門の変(禁門の変)を起こした。
しかしこの長州のクーデターは失敗に終わり長州藩は朝廷に矢を放った賊軍として幕府が主導の長州征伐が行われることとなった。

松山藩ほか各藩の大軍が長州に迫る中、長州は戦わずしてあっさりと恭順の姿勢を示す。このとき長州藩は馬関戦争により徹底的にたたきのめされ戦争をする力は残っていなかった。
幕府軍は大勝利を収め幕府の権威が少しではあるが回復、そして最も方谷を驚かせたのは、この手柄により、あろう事か勝静が再び老中に返り咲いてしまったのだった。

【事件・出来事】
• 水戸天狗党の乱
• 池田屋事件
• 禁門の変
• 第一次長州征伐
• 新島襄 快風丸に乗り横浜から函館に・その後アメリカに旅立つ

【勝静動向】
元治元年(1864年)
• 6月18日、老中を免ず。江戸城雁間詰。
• 8月13日、長州征伐山陽道先鋒となる。
• 月日不詳、阿波守に遷任。侍従如元。