方谷は油紙に包まれた一通の遺書を見つけた、その遺書は方谷の曾祖父山田宗左衛門が記した物だった。

方谷の生まれる66年前、定光寺の住職・晦翁霊明は山田家当主・宗左衛門の許可を得ないまま嫡子・群次郎を剃髪して僧にしてしまった。之に激怒した宗左衛門は晦翁霊明を斬り殺し、その場で腹を切って自刃した。

藩内である事件を起こし、山田家は故郷中井から追放となり20年間に及ぶ流浪の生活となる。それから数十年、方谷の父の代になった。

父の名は五郎吉、母は梶といった。二人はとにかく働いた、「なんとしても山田家を復興しなければならない」
そして、その思いは山田家の長男として生まれた方谷にむけられていく。この当時、下級階層の人間が武士となり
お家を再興するためには剣と学問しかなかった。

五郎吉は幼い方谷にも容赦なく厳しい教育をおこなう、そして母、梶は優しく方谷を見守るのだった。