「詩入としての山田方谷」
講師
石川忠久氏(前二松学舎大学学長)講師の紹介
1932年(昭和7年)東京都生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。桜美林大学教授、同大学文学部長を歴任、前二松学舎大学学長。文学博士。
全国漢文教育学会会長、東京漢字検定協会会長のほか平成15年3月に発足した全日本漢詩連盟の初代会長に就任。NHKのラジオ「漢詩への誘い」、同テレビ「漢詩紀行」で漢詩文の魅力を紹介。著者に「陶淵明とその時代」「唐詩選のことば」などがある。
(藩校サミットパンフレットより)
第1分科会
一般及び学校教育関係者
場所:高梁市文化交流館 3階講座室
「校是『知徳併進』を今に生かす」
坪井悟氏(修道中学校・高等学校校長)亨保10(1725)年、広島藩藩校「講学所」を創始した五代藩主浅野吉長公は「敬」の一字を記し家臣に授けている。修道中学・高等学校はこの藩校の流れを継承する6ヵ年一貫教育の私立男子校であり、その建学の精神は「道を修めた有為な人材の育成」、教学の目標は「知徳併進」です。脈々と受け継がれてきた校是の根底にある精神を、現代社会に生き未来を担う子供達に如何にして伝えるか。参加者の皆様と共に考えたいと思います。
(藩校サミットパンフレットより)
「藩校教育を今に生かす」
和田英樹氏(西日本工業大学参与)福岡県立豊津高等学校は宝暦8年、小倉の地に開学した小笠原藩校「思永斎」に始まる福岡県下随一の伝統校である。昨年度、そこに県立中学校が併設され、「育徳館中学校」と命名し、県下初の中高一貫教育校として出発した。藩校時代の名称の復活であり、藩校教育を今に生かそうとする思いの現れである。この試みに寄せる内外の期待は極めて大きく、徳を育む教育の実践を通し、「新生豊津」の創造を目指して、全教職員が適進しているところである。
(藩校サミットパンフレットより)
第2分科会
一般及び生涯学習関係者
「会津藩校と日新館の人つくり」

野口信一氏(会津若松市立会津図書館館長)会津藩校日新館は五代藩主松平容頒の時代、1801年に造営が成った。これを主導したのは家老田中玄宰で、その目指すところは人つくりにあった。それは聖賢や偉人を生むのではなく、各人の地位や役職にふさわしい能力と誠実さを備えることにあった。「忠孝敬信悌」を基本とし、会津藩主として、また人としての道を教えた。就学前の児童に対しても各町内にグループ「什」を結成、自然の遊びのうちに人の道、社会人としての基本を習い覚えた。
(藩校サミットパンフレットより)
「薩摩を支えた郷中教育」

西郷隆文氏(西郷隆盛公奉賛会理事長)
酒井忠久氏 徳川斉正氏 越後長岡藩牧野家第17代当主
牧野忠昌氏
鳥居誠一郎氏 内藤賴誼氏
司会は松前先生
特別講座15時30分~16時40分
高梁文化交流館 3階中ホール「書法的にみた方谷の書」
額田桂崖氏(岡山県書道連盟会長)

備中聖人山田方谷先生の書3の江戸末期における位置付けと書法についての私見
○文房四宝○和様と唐様○幕末の三筆○方谷先牛の書

全体会17時~17時30分
高梁文化交流館 3階中ホール

  • 分科会の報告
  • 全国藩校サミット宣言の採択
  • 次期開催地代表挨拶
山田方谷生誕200年記念 第4回全国藩校サミット高梁宣言

江戸時代、全国260余藩は藩士およびその子弟の教育のため藩校を設立し、併せて、庶民にも門戸をひらき、教育内容も当時としては多岐にわたりました。

本日、私たちは江戸時代の備中松山、岡山県高梁市に集い、第4回全国藩校サミットを開催し、先人の遺訓を学ぶとともに藩校教育を今に生かすことをテーマに研究協議を行いました。
その協議を通じ、それぞれの地域に藩校の伝統や精神が息づいていることを知りました。
時、恰も備中松山藩の藩校教育の振興に努め藩政改革を断行した山田方谷生誕200年の記念すべき年に当たります。山田方谷は「至誠側但」即ち「まごころと思いやり」を旨として藩政を遂行するとともに、人づくりに精進いたしました。

今こそ、各地の関係者が手を携えて、藩校の果たした役割を知り、その学問を学ぶことにより藩校教育を見直し、漢字文化をはじめ伝統文化を継承するとともに現代社会に対応する方策を創造することにより、今後の文化社会構築に寄与することをここに宣言します。

平成17年6月11日
第4回全国藩校サミットin高梁参加者一同

来年の藩校サミット開催地、長野県高遠町の町長氏が挨拶されました。

http://www.town.takato.nagano.jp/

備中松山藩板倉家第19階当主
板倉重徳氏と奥様
交流会
於:高梁国際ホテル