山田方谷(1805年~1877年)は江戸時代末期から明治時代初期の漢学者、備中松山藩士です。 学者として藩に仕えていた方谷でしたが、藩主板倉勝静(1823年~1889年)のもとで藩政改革を断行し、大きな成功をおさめました。 勝静が幕府の老中となると、その政治顧問として幕政にも関与しました。 また、藩校有終館や方谷自身の私塾、明治以降には備前の閑谷精舎(閑谷学校)などで多くの子弟を教え、備中松山藩を支えた人々を育てています。越後長岡藩の河井継之助(1827年~1868年)のように他藩から来遊する者も数多くありました。方谷自身は明治維新を境に教育に専念し、世に出ることを拒みましたが、その思想、手法、人材は次世代の大きな財産として残されました。
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