心ここに在らざれば、みえども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず。

心ここに在らざれば、みえども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず。
「大学伝七章」

自分の中の心がしっかりとしていなければ、視ようとしても何も見えず、聴こうとしても何も聞こえず、食べたとしても味がわからない。

この言葉は私のとても好きな言葉です。
本来の意味は「怒り」とか「恐怖」などに心がとらわれてしまうと、正しい判断が出来なくなる、と言った意味でしょうか。

ですが、私はこの言葉の「心ここに在らざれば」の意味は「日々起こる出来事を自分の問題としてとらえていない状態」のような気がします。

何も考えずに日々おなじ事を繰り返していると私自身「心ここにあらず」の状態に陥る事がしばしばあります。
目の前に重大なことが起こっていても、それが他人事にしか感じられなくなり、視ているつもりでもまったく見えていない状態となります。

大津でいじめ事件が起こりました、マスコミで連日取り上げられるようなってから、すでに何週間にもなります。

しかし岡山県内の学校で自分たちの学校のいじめ調査アンケートを行ったのは笠岡市のみではないでしょうか。

テレビの向こうで起こっているドラマのような事件はあくまでテレビの向こうで起こっていること、自分たちにはあまり関係がない。
「心ここに在らざれば」状態です。事件を自分達のことに置き換える思考が私自身も止まっていることに気づきぞっとします。

会社で起こっている問題、自分の業界で起こっている問題、日本で思っている問題、これら多くの問題を日々私たちは本当に自分たちの問題として本気で考えているでしょうか。

自分の業界で起こった問題に対して、自分のお客様は大丈夫だろうか、自分のサービスは大丈夫だろうかと自らを省みることをしばしば忘れていないでしょうか。(私はよくついわすれてしまい、後でひどい目に遭います・・・)
対処法は簡単です、どこかで問題が起こったとき、「自分はどうなんだ?自分の周りはどうなんだ?」と立ち止まって考えてみれば良いのです。

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