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備中松山平成塵坪紀行

1859年8月8日〜8月14日
原 文
□  八日 曇  
山田行、其中之咄ニ、誠心
より出バ敢不用多言  答問
8月8日 曇り

長瀬の山田邸へゆく。
山田邸での話として、誠心(まごころ。偽りのない気持ち。)で出た言葉ならばそのことについてあえてあれこれということはなくとも通じる物である、とのこと



   九日 終日曇 夕雨 山田
   十日 晴 山田
三晩宿ル ・・・・・・・・・三夜 九
   十一日 晴 夕大雨
朝山田を立て供水車帰、
夜三島来、三人談話
          酒壱 なす・玉子二出ス
○「右代ハ花屋弐朱遣置★★★★★返ル」

   十二日 朝大雨
昼後、山田先生帰
   十三日 晴
(三島)進、外ニ両三輩と、三島へ
行、夜月明、蔵書
目録可見、夕飯酒
   十四日 晴
袴地買、書附有之、
仕立之上遣図り、代ハ済
8月9日 終日曇り 夕方より雨 山田邸泊

8月10日 晴れ 山田邸泊
 山田邸には3日間お世話になった

8月11日 晴れ 夕方に大雨
朝の内に山田邸を立って、進氏とともに「水車」へ帰ってきた。
その夜、三島中洲君が来たので3人でいろいろと話をした。
卵やなすをつまみに酒を飲んだ。

8月12日 朝大雨
昼過ぎ、城下に来られていた山田先生が長瀬に帰られた。

8月13日 晴れ
進昌一郎、ほか3人の先輩方と三島中洲宅へゆく。
その夜はとても月明かりが明るく、三島君の家にある蔵書の目録などを見た。夕方より食事と酒

8月14日 晴れ
袴地(注1)を購入した。書き付けは私が持っておく、仕上がり次第送ってもらうことにする、代金は精算済み。


(注1)8月14日にも継之助は袴を新調している。
旅で着ていた物が全体的に傷んでいたのか、もしくは継之助がとても身だしなみを気にする男がったのか、それとも方谷が身だしなみにうるさい男がったのか、想像するしかないが当時の風景が見えてほほえましい。




  

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