備中松山平成塵壺紀行トップページ河井継之助プチマニアTOP山田方谷マニアックストップページ
備中松山平成塵坪紀行

1859年8月15日〜8月18日
原 文
   十五日 晴 時々雲ある
夜五ツ頃より四過迄、殊ニ明月
□  十六日 晴 八過雨又晴 山田 三
暁七ツより藩士七八人と其他
豪賈壱両人と山田行、
夫よリ船を登せ不動瀧と

云迄到、岸絶碧不可
名条、川ハ小なれとも、如何ニも
急流、舟師之心労、励きニハ感心
之物なり、懸る急流ハ始て
乗し也、又山田帰り、夜ニ到り、跡之人々ハ
船ニて松山帰ル、追礼か舟ノ」
   十七日 晴 山田 二夜・・・・・・六
夜、明月、先生と月下ニ
咄を聞
 
8月15日 晴れ 時々曇り
夜8時頃から10時頃まで月明かりがとても明るい

8月16日 晴れ 午後2時過ぎに通り雨 後またはれ
朝早く、午前4時頃より松山藩の藩士7〜8人と豪商ひとりをつれて長瀬の山田邸にゆく。
途中、山田邸よりもさらに上流に船を進ませ不動滝(注1)というところまでいった。その風景は奇岩や絶壁に囲まれなかなかに圧巻である。川幅は小さいがとても急流で船頭の心労と働きには感心するばかりだ。このような急流で船に乗るのは初めてのことだ。その後、船にて長瀬の山田邸まで帰る。夜になって、私以外の人は船で城下まで帰った。船頭への礼は彼らがしたか・・・

8月17日 晴れ 山田邸泊
先生のお宅に2日間お世話になる、夜な夜な話を聞いた。



  十八日 晴 夕雨
朝飯を食て、四ツ頃、山田を
立、木野山参り、快晴ならハ
大山(ダイセン)も可見ニ、薄雲ありて
残念なり、近辺ハ一目ニて
相別り、風景面白し、七ツ頃
水車帰
   
18日 晴れ 夕立
朝飯を食った後、午前11時頃 山田先生の家を立つ、その後木野山神社(注2)に参る、この神社は高い場所にあり、快晴ならば大山(鳥取県にある西日本の富士といわれる山)も見ることが出来ると言うが残念ながらこの日は薄曇りで見ることは出来なかった。しかしながら周りの風景は一望できなかなかおもしろい体験をすることができた。午後4時頃、水車へ帰る





(注1)不動滝
継之助が方谷邸にゆくついでに皆で見物にいった不動滝は現在も存在し、今は「絹掛けの滝」の名で親しまれています。場所は継之助も書いたとおり、JR伯備線の方谷駅から高梁川沿いに4.5km上流に行った場所で、現在も不動明王がまつられており、地元の人は「不動滝」と呼んでいます。
「絹掛けの滝」にゆく途中、高梁川の風景は一気に変わり、大きくせり出した岩肌が至る所で見ることができます。


「絹掛けの滝」


絹掛けの滝では今も不動明王がまつられています。


継之助が目にした風景は今も変わらず広がっています。



写真・資料協力:守田正明様 ありがとうございました。



(注2)木野山神社
オオカミをまつる珍しい神社で「オオカミ=大神」ということから当時は全国から参拝者が訪れたという。本殿は継之助も本文中に記したとおり山のてっぺんにあり現在でも車で行くことさえできない。あまりに不便なので山の麓に拝殿があり、通常はこちらにお参りする。現在でも全国から参拝者がある。





  

備中松山平成塵壺紀行トップページ河井継之助プチマニアTOP山田方谷マニアックストップページ





  

 Copyright(C) 2001 備中高梁観光案内所