第45話「備中松山城無血開城」

慶喜遁走のニュースは松山藩内にも電撃的な早さで伝わった。
「いよいよ、来るか」

藩主勝静が徳川と運命を共にし、備中松山藩は賊軍となった。鳥羽伏見の幕府軍大敗を受け、態度を明確にしていなかった諸藩はつぎつぎと新政府軍の旗を揚げ、松山藩は瞬く間に新政府軍に包囲された。

「戦か、恭順か、」藩士達の意見はまっぷたつに割れた。」

「我々は決してミカドに矢などはなっておらん、恭順するとは我々が自ら賊軍と認めるような物だ!」

「いや、藩侯が徳川様と江戸に逃げられた以上、もう言い逃れはできん、ここで戦をしては城下を火の海にするだけで何の意味もござらん」

方谷は座の中興に座ると、じっと黙って重臣達の意見を聞いていた、議論は堂々巡りを繰り返し、一同は方谷に答えを求めた。

「これより我が藩は謹慎に入る、藩士以下何人であってもこれを遵守するよう申し伝えろ。」藩の態度は決まった。
方谷はすぐに松山藩討伐隊の筆頭を務める岡山藩に謹慎の意を伝える使者を派遣した、しかしそこに待っていた物は「大逆無道」の4文字だった。

岡山藩は松山藩に謹慎に関する書状の提出を要求、文面はすでに用意されており、この文面の中にこの4文字はあった。

方谷は怒り狂った。「我が藩は断じて大逆無道などではない。」
方谷は岡山藩にこの四文字の変更を要求、それが聞き入れられない場合は切腹して藩に陳謝すると伝えた-

方谷は2通の遺書を書く。
一つは矢吹久次郎宛、「小雪のこと、たのむ」、もう一つは妻みどりへ「心配しなくていい、私亡き後は兄様や久次郎がめんどうを見てくれる、あの世へ、みどり殿まいる。」

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