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高梁方谷会だより
弟26回 高梁方谷会 講演
方谷先生に学ぶ 改革の神髄

平成16年6月20日高梁方谷会総会において(株)日本能率協会コンサルティングの経営コンサルタントでいらっしゃる滝澤敬司先生にお越しいただき、「方谷先生に学ぶ 改革の神髄」と題し、方谷先生の書いた論文の一つである「擬対策」をベースにした講演をしていただきました。このコーナーでは滝澤先生にしていただいた講演の内容について詳しくお知らせします。



滝澤先生は高梁市上谷町のご出身で、以前帰省された際、たまたま家にあった方谷先生の本を目にしたのが山田方谷研究のきっかけになったそうです。ご職業が経営コンサルタントということもありこんな昔に合理的割科学的な改革を行った人物が自分の郷里にいたということに非常に驚かれたということです。

講演の中心になる「擬対策」とはどういった物でしょうか、一般によく知られているのは同じく方谷が28歳の時に書いた「理財論」の方ですが、一般に「理財論」は経済についてかかれた論文であり、「擬対策」は政治(手法)についてかかれた論文といわれています。

さて、方谷が藩政改革に実際に着手したのは板倉勝静によって元締め役兼吟味役を命じられた45歳のときですが、方谷はまるで将来の自分の運命を知っているかのごとく若くから「帝王学」を学習していました。実際の藩政改革に着手したとき、方谷のそれまで蓄積した知識が一気に開花したわけですが、その改革の内容もまた、当時の一般的な改革とは一線を画すものでした。



方谷の藩政改革の内容とその推進

方谷の中で「藩」の存在意義とは、「藩主と藩民の幸福のためにある」ということでした。しかし当時の藩はただ「士」を食わすために農商工から税金を徴収するだけの物になってしまった。

農商工は懸命に働き、高い税金を納めている、それに対して士はなにもしていない。本来ならば士は大いに農商工に感謝しなくてはいけない、本来士のなすべき仕事とは農商工が安心して豊かな暮らしを送ることができる世を作ることが仕事であり、そのために藩から俸禄をもらっているのである。
これが「義」であり、士は義を行うことで食えるのである。ところが300年の太平が士に義を忘れさせてしまった。これが現在のもっともよくない問題点でる。

方谷は藩の問題点の根本を「義」の欠如であると考えました。そして、それを達成するために解決すべき課題をを洗い出すことがから始めました。

方谷改革の流れを見ると一番最初にあがるのが<上下節約>です。そして節約をした上で必要となるのが<負債の整理>と<産業の振興>でした。

ここで上下節約といっていますが、実際に大幅な賃金のカットを行ったのは上級武士のみで、方谷は下級武士の賃金には手をつけませんでした、さらに自分の賃金に関しては下級武士並みに抑えその収支を第三者に任せて公開しました。また、役立たずの役人の首を切りたかったが、その後の弊害も考えてあえてそのままおいておいたといった記録もあり、当時の方谷の苦労も垣間見えます。

一番の懸案である<負債の整理>に関しては、方谷はまず3年間の藩の帳簿を調べ上げます。当時の帳簿といったら「大福帳」で一見しただけでは収支は全くわかりません、方谷は独自に編み出した手法で大福帳の内部を各項目ごとに分けて整理し、その中で節約できる部門、不必要な部分、必要な項目を調べ上げます。

その上でよく知られている大阪出張を行い藩財政の公開と借金の棒引きを申し出るのですが、このときも各銀主に対して一律に同じ主張をしているのではありません。各借金の性格を非常に重視しています。たとえば必要以上の利益を得るために貸した借金や、すでに元金以上の利子を返済した借金に関しては棒引きを主張し、反対に借金に苦しむ藩の状態を見るに見かねて貸してくれた借金などに関してはさらにほかから借金をしてでも返す、といったかんじで方谷にとっての物差しはあくまで「義」でありました。

産業振興に関しても様々な緻密な調査の上で「これはいける」と確信した物のみ着手するなど慎重かつ大胆に改革を進めました。


滝澤先生の所属する「(株)日本能率協会コンサルティング」ではコンサルタントをする上で使用する「問題解決の科学的手順」という物があるそうです。これは(株)日本能率協会コンサルティングがアメリカから学んだ手法で、

@問題は何かを明確にする。(問題の本質は何か)→本質的問題をつかむ。

A問題に関するあらゆる事実を集める。(経理の事実は事実ではない)

B集めた事実を基に、事実に基いてなすべきことを発想する。

C問題解決のための実施計画を立てて、実行する。

D元に戻らぬように手を打つ

という手順だそうです、この方法を使うと改革は必ず成功するそうです。

方谷改革はまさにこの手順を実際に実行したもので、江戸時代の改革としてはまさに驚異的な物であったといえます。


藩政改革指導に関する 方谷先生の「金言拾遺」

・驚天動地の功業モ至誠側但.国家ノ為ニスル公念ヨリ出デズバー己ノ私ヲ為久二過ギズ.
(どんなすばらしい改革も、私のためにやったのではうまくはいかない)

・法ヲ革ムルノ難キニ非ズ.法ヲ行フコト之レ難シ、法ヲ行ウテ人ヲシテ其法二安ンゼシムルコト最モ難シ.
(安政3年、川田に改革後いった言葉・・・システムを変えることは簡単なこと、決めたことを行い、それが自然になるまでが大変なことなのだ)

・創業ノ守成卜相待テ其業ヲ成スヤ、春耕ノ秋穫ト相待テ其ノ稼ヲ成スニ異ナラズ…
(神戸一郎にいったことば・・新しいことをやって、それが成功し、それがよくなっても、民に行き渡るのはべつのことだ)

・財ヲ用ル兵ヲ用ル、其道一ナリ.兵多キモノハ分テ数処二備へ、兵少キモノハ合セテー手二囲ム.…一
(戦争をするのも、金を使うのも同じことだ、少ないときは一点集中、これが戦略としてはよい)

・世二小人無シ。一切衆生皆愛スベシー

・百姓一揆ハ天ノ戒メ.

・刑ハ無刑ヲ期ス.
(刑罰という物は、本来のの効力があるのならば犯罪はないはずだ)

・天下ノコト、敦レカ不滞二成リテ、滞二敗レザルモノアランヤ.
(滞ることなく、少しでも「する」ことが大切なことだ)

・人多クハ自己ノ功ヲ貧1人躬ラ其局二当ラントス.是レ誤マレリ.


方谷改革とは「義」を重んじ、徹底的に弱者を守り、「藩主と藩民のため」の改革でした。
藩主と藩民が安全に豊かにくらす、このテーマを実現するため無我夢中で邁進した結果が最終的に8年間で10万両の借金を返し、その上で10万両の蓄財でした。
方谷改革に注目する際、手法についていろいろと検証するのも重要ですが、もっとも大切なのはどんなマインドに立って改革に着手したか。そして、改革を持続するためのエネルギーはなんだったのか、を検証することではないでしょうか。







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