理財論

理財論とは」方谷32歳の時、佐藤一斎塾在塾中に書いた小論文である。

こののち、方谷は劇的な藩政改革でこの理財論を実践してゆく。
本文は「陽明学」創刊号、山田方谷特集号参照でかかれた方谷の理財論の全文である

(文章は「財政の巨人幕末の陽明学者・山田方谷」林田明大著より引用)


 

理財論」上

今日、理財の方策は、これまでにないほど綿密になってきています。しかし、各藩の窮乏はますますひどくなるばかりです。田地税、収入税、関税、市場税、通行税、畜産税など、わずかな税金でも必ず取り立てます。役人の棒給、供応の費用、祭礼の費用、接待交際費など、藩の出資は少しでも減らそうとします。理財の綿密なことはこのようであり、その政策を実施してきて数十年になります。であるにもかかわらず、藩はますます困窮するばかりで、蔵の中は空となり、借金は山のようです。

なぜだろう。知恵が足りないのだろうか。方策がまずいのだろうか。それとも、綿密さが足りないのだろうか。いや、そうではない。
だいたい、天下のことを上手に処理する人というのは、事の外に立っていて、事の内に屈しないものです。ところが、今日の理財の担当者は、ことごとく財の内に屈してしまっています。

というのも、近ごろは、平和な時代が長く続いたために、国内は平穏で、国の上下とも安易な生活に慣れてしまっているのです。ただ財務の窮乏だけが現在の心配事なのです。

そこで、国の上下を問わず、人々の心は、日夜その一事に集中し、その心配事を解決しようとして、そのほかのことをいい加減にして、放ってしまっているのです。

人心が日に日に邪悪になっても正そうとはせず、風俗が軽薄になってきても処置はせず、役人が汚職に手を染め、庶民の生活が日々悪くなっても、引き締めることができない。文教は日に荒廃し、武備(武芸)は日に弛緩しても、これを振興することができない。

そのことを当事者に指摘すると、「財源がないので、そこまで手が及ばない」と応える。
ああ、今述べたいくつかの事項は、国政の根本的な問題だというのに、なおざりにしているのです。そのために、綱紀(規律)は乱れ、政令はすたれ、理財の道もまたゆき詰まってしまいます。にもかかわらず、ただ理財の枝葉に走り、金銭の増減にのみこだわっています。

これは、財の内に屈していることなのです。理財のテクニックに関しては、綿密になったにしても、困窮の度がますますひどくなっていくのは、当然のことなのです。

さて、ここに1人の人物がいます。その人の生活は、赤貧洗うがごとくで、居室には蓄えなどなく、かまどにはチリが積もるありさまです。ところが、この人は、平然としているのです。貧しさに屈しないで、独自の見識を堅持しているのです。この人は、財の外に立つ物である、といえます。結局、富貴というものは、このような人物に与えられることになるのです。

これに反して、世間の普通の人というのは、わずかの利益を得ることがその願いなのですが、そのわりには年中あくせくしていて、求めても手にいれることができないで、そのうち飢えが迫ってきて、とうとう死んでしまう者もいるのです。これなどは、財の内に屈する者である、といえます。

ところが、土地は豊かな堂々たる一大藩国でありながら、そのなすところを見ますと、あの財の外に立つ者にも及びません。財の内に屈する世間の普通人となんら変わらない愚行を犯しているのです。なんと悲しむべきことではないでしょうか。

ためしに、中国の政治に例をとってみましょう。その古代の、夏、殷、周という三つの時代のそれぞれの聖王のすぐれた王道政治はいうまでもありません。その後に出た政治家で、郡を抜く管子や商君について言わせてもらえば、彼らの富国強兵の策を儒家は非難しています。

ですが、管子の国の斉での政治は、礼儀を尊び、廉恥(心が清くて潔く、恥を知ること)を重んじており、また商君の国秦での政治は、約束信義を守ることを大事とし、賞罰を厳重にしているのです。
このように、この二人は独自の見識を持っている者であり、必ずしも理財にのみとらわれているわけではないのです。

ところが、後の世の、理財にのみ走る政治家たちは、こまごまと理財ばかり気にしていますが、いつしか国の上下ともに窮乏して、やがて衰亡していくことになるのです。このことは、古今の歴史に照らしてみれば明らかなことなのです。
そこで、今の時代の名君と賢臣とが、よくこのことを反省して、超然として財の外にたって、財の内に屈しない。そして、金銭の出納収支に関しては、これを係の役人に委任し、ただその大綱を掌握し管理するにとどめる。

そして、財の外に見識を立て、義理を明らかにして人心を正し、風俗の浮華(うわべだけ華やかで、中身が伴わないこと)を除き、賄賂を禁じて役人を清廉にして、民生に努めて人や物を豊かにし、古賢の教えを尊んで文教を振興し、士気を奪いおこして武備を張るなら、綱紀は整って政令はここに明らかになり、こうして経国(国を治め経営すること)の大方針はここに確立するのです。理財の道も、おのずからここに通じます。しかしながら英明達識の人物でなければ、こういうことはなしとげることはできないのです。


理財論」下

ある人が、次のように言って反対します。
「あなたがおっしゃるところの財の外に立つということと、財の内に屈するということの論は聞かせていただきました。その上で、さらにお尋ねしたいことがあります。ともあれ、現実に、土地が貧困な小藩というのは、上下とも苦しんでいるのです。

綱紀を整えて、政令を明らかにしようとしても、まず飢えや寒さよる死が迫ってきているのです。その不安から逃れためには、財政問題をなんとかする以外に、方法がないのでしょうか。それでもなお、財の外に立って、財を計らないとおっしゃるのでしたら、なんと間の抜けた論議ではありませんか」

私は、この人に次のように答えます。

「義と利の区別をつけることが重要なことです。綱紀を整えて、政令を明らかにすることは義です。餓死を逃れようとすることは利なのです。君子は、(漢代の菫仲舒の言葉にありますように)ただ、(義を明らかにして、利を計らない)ものです。ただ、綱紀を整えて、政令を明らかにするだけなのです。餓死や死をまぬがれないかは、天命なのです。

その昔、滕国に対して、ただ善行をすすめました。

侵略されて、破滅するということへの不安は、餓死や死への不安よりも、もっと恐怖です。だというのに、孟子は、ただ善行をせよと教えるだけなのです。

貧困な弱小な国が、自ら守る方法は、他にないのです。義と利の区別を明らかにするだけなのです。義と利の区別がいったん明らかになりさえすれば、守るべき道が定まります。この自ら定めた決心は、太陽や月よりも光り輝き、雷や稲妻よりも威力があり、山や牢屋よりも重く、川や海よりも大きく、天地を貫いて古今にわたって変わらないものなのです。飢えと死とは心配するにはおよびません。まして、理財などはいうにたまりません。

しかしながら、(『易経』乾卦文言伝にある言葉ですが)〈利は義の和〉とも言います。綱紀が整い、政令が明らかになるならば、飢えや寒さによって死んでしまうものなどいないのです。それでもなお、あなたは、私の言うことをまわりくどいといって、〈私には理財の道がある。これによって飢えや寒さによる死から逃れることができのだ〉とおっしゃるのでしたら、現に我が藩国がその理財の道を行うこと数十年にもなるというのに、我が藩国はますます貧困になっていよいよ救い難いのは、何故なのでしょうか。